暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記-小林信彦『コラムは歌う』『コラムは踊る』、読書についてなど

 小林信彦『コラムは歌う エンタテインメント評判記 1960~63』『コラムは踊る エンタテインメント評判記 1977~81』を読み終え、『コラムは笑う エンタテインメント評判記 1983~88』を読み進める。その時代の、その頃の文化の一側面、足跡を知るにうってつけな本を立て続けに読む日々はそろそろ終わりそう、ここらで一旦打ち止めにして、今度は作品に向かいたい。そう、作品を体験することに飢えているのだ。同著者の『極東セレナーデ』は秋に読み始めようかな。

 

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 とりとめなく、作品を体験するということについて、ここのところ考えていることを、書き出してみる。

 

 小林信彦が書き連ねていった同時代のエンタテインメント評判記を何冊も読んでいる内に、やっぱり最新の作品にふれて、この先に出てくるであろう作品たちに様々な希望を持つ、ということを行っていきたいという意識になってきた。

 今、最新に発表された作品を体験することは、マンガでかろうじて行えているくらいで、小説は随分と前から、というか体験していたのは2002 - 2004年の3年程、映画は映画館に足を運ぶ習慣が無くなって7年、アニメはもうあまり関心が湧かず、音楽は中村一義のみ…、とこのことを意識してから書き出してみて、いろんなものを体験したいという気持ちはあるのだから、直近で世に放たれた作品を浴びていく気持ちはもっとあって良いよなと考える。

 リアルタイムで追っているのは中央競馬で、これは、ビュンビュン飛ばして逃げ切ったり、他馬を凌駕する末脚を披露するといったようなすごい勝ち方を目の当たりにしたい、また、必死に一歩先を争ってしのぎを削る人馬たちが象るレースを観たいから、毎週観る、そんなレースを観られるのではないかとアンテナの精度を上げるために毎日情報を集めている。

 競馬と同じくらいに毎日何かしら行っているのは読書で、その中でも小説から受ける刺激は最上位のもので、締めくくりの文章にて背中に気持ち良い痺れが走った時は何物にも代えがたい。読んだことのない作品はどれも新作、という気持ちはまず持ちつつ、今、この時代に作品を出してゆく意味を受け取りながら読んでいく、という体験を、また行いたい。そこでぞくぞくとさせる刺激を受けて、生きる歓びの一つとしたい。

 そうさせてくれるかもしれない、という期待を抱いている現代作家の一人が乗代雄介で、今週15日に『本物の読書家』文庫版が発売となる。

 今年4月に読み終えたデビュー作『十七八より』の異様で不可解でストレンジな読み応えにくらくらとなり、『旅する練習』の評判の良さを知るにつれ、作品を読みたい気持ちがとても高まっている。既存の作品は単行本や電子書籍等ですぐに手に取ることはできたけれど、7月に『本物の読書家』文庫版が発売予定と知っていたので、それを待っていた。読んだ後、他の著作にすぐさま手を伸ばすと吉、たぶん、そうしているだろう、そんな予測は、それぞれの作品での著者インタビューを読んでいて、読み手としての懐の深さと書き手の眼差しの遥かさから、確かな信頼としてあるのだ。

 そんな感じで、『本物の読書家』を読むのがとても楽しみです。作品の情報はあまり仕入れていない状態で、まず作品に飛び込むのだ。

 

 

 

 

 

 

読書雑記-小林信彦『コラムにご用心』『コラムは歌う』、シャニマス「The Straylight」

 今週はマンガをあまり読まなかった。

 松本剛「ロッタレイン」は通勤の時に読むものではないかな…と思い、家に置いたまま開かず。来週は読み始めよう。その代わりか、車内では春野友矢ディーふらぐ!」1~6巻を読み返して、作中の時間と連載の経過時間を思ってちょっとくらくらした。1話から最新話で、まだ5ヶ月くらいしか経ってないんだよな…会長がヒロイン化するという驚きもあるし、長く続いてほしい作品。

 

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 小林信彦『コラムにご用心 エンタテインメント評判記1989~92』を読み終え、同著者の『コラムは歌う エンタテインメント評判記 1960~63』を読み進める。

 『コラムは歌う』では戦前 - 戦後との年月が近いだけあり、その頃に公開された映画を引き合いに出す文章への印象はカラッとしていて、事実と成果が後年のコラムと比べて伝ってくる。

 また、1950年代から60年代初頭にかけて公開された映画評を読むに連れて、金井美恵子矢作俊彦の著作で言及されている作品の、その当時の評価の一側面が分かって、読んでいるこちらでのそれら作品への輪郭が少しくっきりしたような、評が交差して影響力を目の当たりにした感じ、いつか観てみようという気持ちが強くなった。そして観たいものリストへ作品は追加されていく。「オーシャンと11人の仲間」は近々に観よう。

 

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 「アイドルマスター シャイニーカラーズ」より、イベント「明るい部屋」「The Straylight」を読んだ。これで2020年までのイベントは全部読み終え、2021年分へと入った。

「The Straylight」での、メンバー3名の個性も行き方もバラバラだからこそ、アイドルとしてステージで輝くことを一致して、パフォーマンスを更新していく姿がとても眩しく、その基本線がしっかりと描かれていておもしろかった。ストレイライトのストーリーは、上を向き続けるために、冬優子がリーダーとして個人としていかに動き、あさひと愛依を適切に許容して後方支援するか、またあさひの無意識の信頼、愛依の意識的な信頼とが描かれて、チームマネジメントの妙が現れていて、そのパフォーマンスが出たかのような第6話「GET SET」での演出に、おおっと声が出たのだった。やっぱりストレイライトのCDは買わないといけないな。

 

読書雑記-雨隠ギド「甘々と稲妻」、押井守『他力本願 仕事で負けない7つの力』など

 

 読みさしのままにしているマンガを読もう、の流れで雨隠ギド甘々と稲妻」完結巻を読むため、全12巻を最初から読み通した。

 最終話「いってきますとおうちごはん」のラストページ、北海道の大学へと旅立つつむぎがお父さんと小鳥に見送られた後、親子のあの頃を思い返すカット( 1巻の表紙とよく似ていることに書いていて気づいた )に、心がほろほろと揺さぶられた。読者としても、始まりの一つはその姿だもんなー…。

 12巻所収の、複数の番外編で年月が経過して、大きくなってまあ…と近所の人みたいにつむぎや小鳥たちの姿を見て一興、書き下ろしとあとがきでのつむぎの姿、セリフを読んで、広々とした気持ちのまま作品が締めくくられて、大変良いものを読みました。豚の角煮は作れるようになりたい。土鍋も欲しい。

 完結して3年、なんでそんなに積んでいたのかはもう分からないけれど、作品から少し離れてまた読み通して、家庭、家族、その役割の意味と自分がどうしていきたいか、活力となる美味しいものを料理する、食べる、感想を分かち合う、ということの大事さは、リアルタイムで読んでいた頃と環境が少し変わった今、より尊く思えるようになったなあ…。一品ずつ、料理を覚えて、美味しいものを俺も食べよう。炊きたてのご飯は美味しいのです。

 

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 小林信彦『1960年代日記』と押井守『他力本願  仕事で負けない7つの力』を読み終えた。『1960年代日記』は趣が異なるけれど、小林信彦のエンタテイメント時評系は集中して読んでおもしろそうな作品はメモして後々ふれようという予定、しばらくはそうするつもり。

 『他力本願  仕事で負けない7つの力』は「スカイ・クロラ」公開に合わせて出版された、若い人へ向けて制作された意図や、音響や演出での一つひとつの技術の積み重ねが総体として映画を成立させるなど、どこを取っても興味深い話で、まだ「スカイ・クロラ」を観ていないので、これは観て本書の内容を確かめたくなった。8月の晴れた日に観よう。

 そして、他人がいないとこの仕事は成立しない、自分だけの考えでは限界があり、いろんな人の意見やアイデアを聞いて取り入れる、その判断する感覚を研ぎ澄まして勝負所を渡っていく、という到達した考え方に共感した。そういう開かれた方向へ仕事ができるようにならないといけないな、と改めて思う。

 押井守監督作品、パトレイバーを観ていないので、こちらも近い内に観てみよう。「ぶらどらぶ」の方が先になるかな。楽しみが待っている。

 

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 武田百合子富士日記』上巻や金井美恵子『本を書く人読まぬ人 とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』をぽつぽつ読み進める。ちょっとした軽口や平然と手厳しい言及が転がってくると、ふふっと笑ったり、思わずこちらが身を竦めたり、刺激的な文章がひっきりなしにやってくる。

 

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 読みさしのままにしているマンガ、今週は雨隠ギド甘々と稲妻」を読んだ。

 完結している作品で読みさしのままにしているものは、柳原望高杉さん家のおべんとう」 /  筒井大志ぼくたちは勉強ができない」 / 松本剛「ロッタレイン」 / 河合克敏とめはねっ!」。次は「ロッタレイン」の予定、通勤のお供で読めるかな。書くと意識が明確になって、効果あるなあ。

 

 

 

 

読書雑記-これまでとこれから

 

 週に1回のペースでの読書雑記は今のところ書けている。読みっぱなしではなく、思ったことを書いておけるスペースがあって良かった。間隔はなるべく遠くならずに、その時々の読書で思ったことを書き留めるようにしたい。

 

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 そろそろ今年の半分が終わるので、改めてという感じで、長い目で見ての読書についてをつらつらと書いていく。

 

 毎年掲げてそのままにしていた、ガルシア・マルケス百年の孤独』と舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』を読むは、前者はまだ手を伸ばさず、後者はゴールデンウィークの纏まった休みを使って上巻を読み終え、下巻の100ページで止まっている状態。内容から、1日数ページずつ読むという形だと目まぐるしく意識が変わっていく話についていけないので、夏のどこかの休みで読み終えたい。ディスコは水星Cと対決することになるんだろうか…。

 

 金井美恵子エッセイ・コレクション全4巻をそろそろ読もう、と思うにあたり、その前に手元にあるエッセイ類の本を読んでから手に取ろう、そうすればおおよそのエッセイがコレクションにて再読となってまた発見があるだろう、と考えて、少しずつ読んでいる。現在は『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』を半分まで、以降は『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』『楽しみと日々』『昔のミセス』『猫の一年』を読んで、冬になる頃には1巻『夜になっても遊びつづけろ』を読み進めていると良いな。

 

 2月に古井由吉『招魂としての表現』を読み終えてから、今年の読書の軸に古井由吉を据えようと考えて、そこから作品を読んだのは『行隠れ』のみでなかなか作品に当たっていないが、作品を入手する機会があればどんどん行っていて、積読が一つの勢力になりつつある。

 古井由吉の小説も1日数ページでも読み進めて手応えを得るタイプではないので、時間を割いて没入したい。冒頭を読みさしにしている『聖』を読んで、まず自選作品1巻を読み終えたい。全8巻を読み終えるのは、いつの日か…40代半ばまでには、読みたい。

 

 氷室冴子の小説やエッセイも読みたいし、小林信彦のエンターテイメント時評や評伝、夢枕獏神々の山嶺』に、今へと流れ継がれている1970、80年代の文化を知りたい気持ちが強くなってメディア史や評論の本を読みたいリストに追加、など、読みたいものは増えていくばかり。毎日何かしら読んでいて、読み終え、読みたい本が追加されて、連綿と馬鹿の果てなき道は続き、歩んでいるようだ。こうしてそのことを書いている今も、いろいろなことや感情を知り得るのが楽しいから、読書の日々を過ごしているのだ。あとは、もうちょっと今出ている書籍に目を配って、最新形を知っておきたいという気持ちを充たしたいところ。

読書雑記-大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』、冬目景「イエスタデイをうたって」など

 先週ブログを書いてから間を置かずに大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』を読了したので、大まかな感想はその時に書いたものから特に変わっていない。

 ジブリ - 宮崎駿作品で国民的な人気を得るようになり、次世代へ歴史と文化を継いでいく側面のある組織と、KADOKAWA - ガンダムを大きな軸として、次第に多様化、細分化していく萌えのまさしく萌芽となるサブカルチャーをどんどん取り込んでメインカルチャーとの位置を変えていく、そういった構図、見え方があるんだ、というのがとてもおもしろかった。それがアニメージュで為された宣言が発端の一つだという、そこに至るまでの歴史の流れと、そこから現在までの文化の氾濫を思うと、「好きなものを好きと言って何が悪い」そのフレーズは、力強いだけに出しどころは慎重に、かつ伝える相手へインパクトがもたらされるように放たれなければならない、という重みを感じた。

 どこで歴史が変わるかなんて本当に分かったものではないな…というおもしろみと怖さをいだきつつ、同著者の『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』を読み始める。

 

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 小林信彦『コラムの冒険 エンタテインメント時評1992~95』を読み終える。プレストン・スタージェスフランク・キャプラの映画をAmzon Prime からウォッチリストに入れる。夏のどこかの休みで観られるといいな。

 

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 長い間、約7年積んでいた冬目景イエスタデイをうたって」10、11巻を読んだ。完結。そして「afterword」も読んだ。
 11巻ラスト3ページ目のリオによるセリフ--「愚か者に幸あれ」がこのマンガ、そして行く末にうってつけで、そうだよな、それを言える人がいて良かったなあ…と思った。そこからいろんなラストカットを見て、ああ、終わったんだ、と実感できた。

 それにしても、榀子を中心にして、とんでもない回り道をしてきた変な人たちだったな…。リクオが榀子を押し切ってみせたり、ハルが榀子ともっとバチバチにやりあっていたら…、いろんな if を考えるのも一つの楽しみだけど、目の前にある感情と現実から、ようやく選択した形が一番愛らしい。

 リクオと榀子のキスに至らんとするページはあまりにもアレで、こんなキスシーンがあるもんかよと思わず笑ってしまい、すぐに、まあ拒否反応ですよね…となり、どちらがフッたのかフラれたのか、それはどちらともで、そこからサラッとあのセリフを言って関係を確認する榀子の無意識さは恐ろしかった…。良いシーンでもあり、やっぱりヤベー女だわ榀子…となる、ならざるをえないよ。その後にリクオと榀子のカットが無いことが、物語の流れからして当たり前だけれど、ホッとした。

 そんなこんながあっても、最終話の見開きでの扉絵と、榀子によるラストカットを見て、最後まで読んで良かったな。

 2000年、中学生の頃に本屋で1、2巻を見かけて読み始めてから、22年経ったのか…3、4巻は単行本発売と同時に読んでいて、5巻以降はなかなか読む手が伸びなかったのは、4巻の柚原の存在感が大きかったのはあったように思う。主要キャラとは異なる、奔放でサバけたあんなに良いキャラはなかなか出てこないだろうと思ったのと、5巻が出るまでに約2年9ヶ月あり、時が経過する内に自分の中でこの作品に一区切りがついていて、続きを読みたい気持ちがあまり湧いていなかったのもあった。それでも、すぐに読めるよう本棚での目に入る位置に置いたまま、完結してから約7年、ようやっと読み終えた。一つの青春が終わったかのような気持ち、リクオとハルの姿が眩しくって、ああ、良かった良かった。

 

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 6月の頭から、読みさしのままにしているマンガを読もう、ということで冬目景「空電の姫君」3巻と「羊のうた」7巻を読んだ流れで、今週は「イエスタデイをうたって」を読んだ。

 完結している作品で読みさしのままにしているものは、柳原望高杉さん家のおべんとう」 / 雨隠ギド甘々と稲妻」 / 筒井大志ぼくたちは勉強ができない」 / 松本剛「ロッタレイン」。読みたいと思っているものはなるべく先延ばしせず意思がある内に読まないと、どんどん手が届かなくなってしまうので、今年中に読みたい。

 

 

 

 

 

 

読書雑記-冬目景「空電の姫君」「羊のうた」、小林俊彦「ぱられる」「セーラー服、ときどきエプロン」、大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』など

 読みさしのままにしているマンガを読もう、ということで冬目景「空電の姫君」3巻と「羊のうた」7巻を読み終えた。いずれも完結巻で、「羊のうた」は幾度目かの再読。

 「空電の姫君」3巻は「空電ノイズの姫君」から数えて6巻目、それだけの話を重ねていたっけ…というくらいに夜祈子がアルタゴに加入してからの印象が強くて、そして磨音と夜祈子ふたり自ずと悟っていたかのような別離、ラストカットの夜祈子の柔らかい表情を見ると、バンドと個人、それぞれの自律性がくっきりと見えて、この形もまた良かったんだろうなと思った。バンドが形成される、磨音が音楽を仕事とする前の話をまたさらっておきたいので、近々に読み返す。

 「羊のうた」7巻、高校生の頃にリアルタイムで完結を見届けてから、折に触れて再読している作品で、ストレートに、千砂の綺麗さ、儚さ、そして生へ焦がれる様が胸に残るのは、時が経っても変わらない。

 茨の道を歩んでいく、伴走して歩ませる人たちも、またここから始めればいい、と一歩踏み出した決心を描いたラストは、今回読んで、心強いなと思った。バッドエンドでもハッピーエンドでもなく、生きることが続いていく、最初から一人ではなく、傍らに大事な人がいることを、改めて知る感じで、八重樫に救われるのだった。また読もう。

 

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 kindle unlimited にまた加入したがお目当ての小林めぐみ食卓にビールを」の読み放題が終わっていてしょんぼり、読み放題で何か読むものはないかと探していると、小林俊彦「ぱられる」全4巻「セーラー服、ときどきエプロン」全4巻があったので読む。

「ぱられる」も高校生の頃にリアルタイムで読んでいた記憶があり、今回がおそらく10何年ぶりかの再読、読み始めるとああこの話、カット、読んだなあ…とすぐに思い出した。ラストで桜がなかなか大胆かつ奥ゆかしい煩悶したことを猫田に言っていて、こんな女の子にドキッとせずにはいられないよなまったく…!

「ぱられる」から小林俊彦という作家を認識して、以降、「ぱすてる」「青の島とねこ一匹」と読み継いでいる中、「セーラー服、ときどきエプロン」は2巻まで読んでいたけれど、あまりにも毒にも薬にもならないマンガすぎてつづきは読んでいなかったが、この機会に完結の4巻まで読んで、これが結構良かった。

 2巻の途中から登場する、新たな住人で、声優を職業としている松田みおの存在をまったく憶えていなくて、本当に2巻を読んだのか疑問だが、意図的に無口にしているみおと、アパートの管理人であるほのかのやり取りが、それまでのほのかがいたずらをやられっぱなしで終わる流れを変えて、ほのかが新たな住人をゲットするべく能動的に行動していく様がマンガに緩急を生んでいて、その流れが続きを読もうという気持ちになり、最後まで読むことができた。ページ数が多くあると、やっぱりドラマがないとどこに気持ちを寄せて読めばいいか迷子になっちゃうんだなあ…。

 

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 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』を読み進めて、もうそろそろで読了となる。べらぼうに面白い歴史物--社会、文化の特異点となった場所、人たちについての歴史、個人史が、ナイーブでなくノスタルジックでもなく、現在から振り返ってどのように影響を及ぼしていったのかを、次の世代以降へ引き継ぐためにしっかりと書き留めようとする意思が全編に行き届いていて、その語りこそ読み手を熱くさせるのだ。

 それにしても、何かを自分で選択するということの責任、重さはどんな人であっても訪れる、その時に、自分はこれからこうしていきたいという未来への感情が乗っていないと、半端なことになりかねないというのを文章の端々に見るのは、楽しみを享受しているばかりじゃなく、他の人に自分の思っていることを伝えて分かち合いたいという気持ちと連動しているからだろうか…受けるだけの人になってもつまんないよ、という、そこからの選択は、さて、自分はどうだろうか。

 

 

 

 

ぱられる 1

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読書雑記-春場ねぎ「五等分の花嫁」、小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』など

 約2年間積んでいた春場ねぎ「五等分の花嫁」13、14巻、完結までようやく読み終えた。

 マガジンポケットにてリアルタイムで読めていたのが12巻収録分まで、その頃から仕事やらなんやらで更新分を積むようになり、気づけば完結しており、次回作「戦隊大失格」が連載開始して巻数を重ねていても読む機会が見つけられないままで、読みたいが読めない、読み終えるには読むしかない、が…というもどかしい時期を過ぎて、少しずつ読み返しながら、今週から7巻に入って一気に続きが気になり、そのまま13、14巻、締めくくりへなだれこんだ。

 そうか、こういうお話となったんだ…というのがまずはの印象で、締めの一言がそのままこの作品にも当てはまって、なんだか微笑ましい。

文化祭編から特に顕著となった時系列の入り乱れや、また父親の存在については、何回も読んでいって頭の中で構成しないと面白みが分からない感じを受け止めつつ、いろいろ唐突で説得力がやや乏しいような気持ちがあって、ここは読み返しの楽しみとなろう。

 最終ページを読んだ後、1巻冒頭や4巻などでの結婚式の描写を読み返し、おお、最後までこの構造で、夢のような日々をまさしく描いたのだと思うと、終盤の五つ子の行動は、夢ではなく本当にそうしたのかもしれないという、この作品のリアリティが伝ってきた。普通はありえないことを逆手にとって描き出す手法がこの作品では鮮やかなだけに、五つ子での行動は、いやしかし…とお話について、結末について、キャラたちについて考えるのが楽しいのが「五等分の花嫁」という作品の素晴らしい所で、また読み返す時を作って、大人になった五つ子の姿に思いを馳せよう。

 

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 舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』下巻は100ページに到達。残り約300ページ、読むモチベーションが上巻を読んでいた1ヶ月前の頃へ回帰したいが、今月の仕事の忙しさを考えると、読み終えるのは7、8月ころになるか…平日に数ページ数行読んでもさっぱり頭に入ってこない作品だけに、まとまった休みで一気に読むほかない。

 

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 小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』を読み終えて、ジョン・トラボルタの出演映画や1950年代の映画でAmazon Primeのウオッチリストへ入れられるものがあれば入れたり、志ん朝の落語を聴いてみたいと思うようになったり、今後の楽しみが少しずつ増えていった。視力の衰えは心許なく、老眼やら乱視やらで今のように活字を目に入れられるかどうかはなんとも言えないので、映画や落語など、いろんな娯楽にふれて、楽しく日々を過ごしたい。

 刊行の順番は逆になったが『コラムの冒険―エンタテインメント時評1992~95』を読み始め、併せて同系統( ? )の本と思い金井美恵子『本を書く人読まぬ人 とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』も読み始める。読書はいろいろな枝を分岐し渡って、楽しい刺激を得るために続いていく、馬鹿の果てなき道、それで良く、そうしていきたいと思っている。