暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記-大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』、冬目景「イエスタデイをうたって」など

 先週ブログを書いてから間を置かずに大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』を読了したので、大まかな感想はその時に書いたものから特に変わっていない。

 ジブリ - 宮崎駿作品で国民的な人気を得るようになり、次世代へ歴史と文化を継いでいく側面のある組織と、KADOKAWA - ガンダムを大きな軸として、次第に多様化、細分化していく萌えのまさしく萌芽となるサブカルチャーをどんどん取り込んでメインカルチャーとの位置を変えていく、そういった構図、見え方があるんだ、というのがとてもおもしろかった。それがアニメージュで為された宣言が発端の一つだという、そこに至るまでの歴史の流れと、そこから現在までの文化の氾濫を思うと、「好きなものを好きと言って何が悪い」そのフレーズは、力強いだけに出しどころは慎重に、かつ伝える相手へインパクトがもたらされるように放たれなければならない、という重みを感じた。

 どこで歴史が変わるかなんて本当に分かったものではないな…というおもしろみと怖さをいだきつつ、同著者の『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』を読み始める。

 

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 小林信彦『コラムの冒険 エンタテインメント時評1992~95』を読み終える。プレストン・スタージェスフランク・キャプラの映画をAmzon Prime からウォッチリストに入れる。夏のどこかの休みで観られるといいな。

 

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 長い間、約7年積んでいた冬目景イエスタデイをうたって」10、11巻を読んだ。完結。そして「afterword」も読んだ。
 11巻ラスト3ページ目のリオによるセリフ--「愚か者に幸あれ」がこのマンガ、そして行く末にうってつけで、そうだよな、それを言える人がいて良かったなあ…と思った。そこからいろんなラストカットを見て、ああ、終わったんだ、と実感できた。

 それにしても、榀子を中心にして、とんでもない回り道をしてきた変な人たちだったな…。リクオが榀子を押し切ってみせたり、ハルが榀子ともっとバチバチにやりあっていたら…、いろんな if を考えるのも一つの楽しみだけど、目の前にある感情と現実から、ようやく選択した形が一番愛らしい。

 リクオと榀子のキスに至らんとするページはあまりにもアレで、こんなキスシーンがあるもんかよと思わず笑ってしまい、すぐに、まあ拒否反応ですよね…となり、どちらがフッたのかフラれたのか、それはどちらともで、そこからサラッとあのセリフを言って関係を確認する榀子の無意識さは恐ろしかった…。良いシーンでもあり、やっぱりヤベー女だわ榀子…となる、ならざるをえないよ。その後にリクオと榀子のカットが無いことが、物語の流れからして当たり前だけれど、ホッとした。

 そんなこんながあっても、最終話の見開きでの扉絵と、榀子によるラストカットを見て、最後まで読んで良かったな。

 2000年、中学生の頃に本屋で1、2巻を見かけて読み始めてから、22年経ったのか…3、4巻は単行本発売と同時に読んでいて、5巻以降はなかなか読む手が伸びなかったのは、4巻の柚原の存在感が大きかったのはあったように思う。主要キャラとは異なる、奔放でサバけたあんなに良いキャラはなかなか出てこないだろうと思ったのと、5巻が出るまでに約2年9ヶ月あり、時が経過する内に自分の中でこの作品に一区切りがついていて、続きを読みたい気持ちがあまり湧いていなかったのもあった。それでも、すぐに読めるよう本棚での目に入る位置に置いたまま、完結してから約7年、ようやっと読み終えた。一つの青春が終わったかのような気持ち、リクオとハルの姿が眩しくって、ああ、良かった良かった。

 

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 6月の頭から、読みさしのままにしているマンガを読もう、ということで冬目景「空電の姫君」3巻と「羊のうた」7巻を読んだ流れで、今週は「イエスタデイをうたって」を読んだ。

 完結している作品で読みさしのままにしているものは、柳原望高杉さん家のおべんとう」 / 雨隠ギド甘々と稲妻」 / 筒井大志ぼくたちは勉強ができない」 / 松本剛「ロッタレイン」。読みたいと思っているものはなるべく先延ばしせず意思がある内に読まないと、どんどん手が届かなくなってしまうので、今年中に読みたい。