雑記 - 西澤保彦『方舟は冬の国へ』
西澤保彦『方舟は冬の国へ』を読み終えた。
作中で言及されているように、荒唐無稽な道具立てに、懐疑と推論から錯綜していく現実、どういう結末を--破綻か、昇華を迎えるのだろうか…と思いながら読み進めての、最終話、最後の2節で全部持っていかれた。
終盤に開陳された死者の残留思念、神の意識へのチャンネルを接続する、といった誇大妄想に聞こえる内容を踏まえて、どこまでも考えられるようであり、和人、理香、玲衣奈、離れがたい結びつきが出来たこの三人が生きてその未来へ進みたい、という意思として読みたい気持ちあり、こんな破格の家族ものがあって良い、となったのだった。
連載作品として、細かい粗は幾らでもあることを踏まえてどんどん進めていく勢い、あとがきにあるように第一話の後に連作パズラーから路線変更したのが作用していた。
またこのキャラに会いたいな、という気持ちがある、良い作品だ。
ノベルスの表紙、ラストを思うと、こうであってほしい、こうなっている、と強く願う、じーんとなる…。
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西澤保彦の作品、『麦酒の家の冒険』『方舟は冬の国へ』を続けて読んだ。
会話文での句点の使い方や、本題からズレてでも徹底する恨み節の描き方に、強めのクセを感じるものの、約20年前に抱いたほどの苦手感は無し。
匠千暁シリーズは読み進めていく、ということで『解体諸因』を読書中、他の作品も手を伸ばす予定。
気になっていた作品を読んで良かったな。
雑記 - むんこ「花丸町の花むすび」3、4巻
むんこ「花丸町の花むすび」3、4巻を読み終えた。
3巻で中心的に、衛との縁結びまで描かれたこともあるけど、完結巻となる4巻にて、コマにちゃんと姿はあるのに、花子の影が限りなく薄かったのが引っかかった。
彗から見る、兄の衛と花子との子、結の家族と、自身の恋やそのもっと先を描く、そこから見えるものが、完結巻の中心となっていることは伝わってくるし、その内容はじんわり染みていって良かったが、作品としてこれでええんかなあ…という気になるのは、時間の経過と共に各々の状況や中心が動き続ける、そこでの継承が、作者のいつもの形になってしまったなあ、この作品を現す特色が見えなかった、という手応えの無さにあるのだろう。
タイトルにあるように著者の作品 - 花丸町で生活するキャラたちのクロスオーバーが作品の要素の一つとして図られており、それらの作品の時間軸から少し先かなり先でキャラが息づいている様が描かれているのを読むと、一層、メイン格の衛と花子、特に花子の影が薄く見えたのが、明るく大雑把な性格が前面に立っていることを考慮しても、3巻で描き終わってしまったのかな…という印象を持った。
書いていることが纏っていないと思う、なんとももどかしいが、著者の作品「だから美代子です」以降、作品がどういう風に始まってもキャラたちが広い所へ拡散して手の届く範囲で愛情を確認するという形で収まるんだろう、という予測が先に立ってしまって、作品を楽しめていない感じが個人的にあるのだった。
みんな異様にテキパキしているのも、スーパーマン的というより、作風が洗練していった結果で幅が無くなってきているような感もして…「だから美代子です」は分岐点だったなあ。
そう思うと、無駄な要素満載の「まりあ17」をちょくちょく読み返すのは、取り付く島もないとは感じていないからなのだろうな。
作家の長期的な活動による洗練に読者がついていけるか、入れ替わりの時期か、ということもあるのかな。「花丸町の花むすび」、一から再読してまた思うことがあるだろうから、その時を待ちます。
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非日常、超常的な事象、展開へ行った「だから美代子です」「出会ってしまったツルとカメ」( 対照として個人感の結びつき、日常生活を過ごしたいという様が浮かび上がっているのはお見事 )、最初から最後まで飄々さが貫かれた「おんぼろ花ハイム」と、竹書房からの近作があまり合わなかった -- 読み返しを行う気が湧かないところに、むんこ作品のある種の集大成 - 作品、キャラのクロスオーバーと時の経過が打ち出された今作もさほど合わず、著者の作品を追う過渡期に入ったとつくづく思う。
「らいか・デイズ」では骨格標本に憑依したキャラが準レギュラー格で登場していたことがあり、その登場回数が増える毎に、著者の作品に追いて行けない感が深くなってきたなあと振り返りそう思う。
いろんな愛の表現…なのかは分からないけれど、要素が唐突というか意外が過ぎて、咀嚼できないまま作品の良さがぼやける印象を持つようになったのだ。
著者の作品が合わなくなってきたなら、去るか、理解できるように読解を続ける、そのどちらかが選択肢として近いだろう、積んでいる最近作を読んで、考えていく。好きな作家で、約20年、作品を読んできただけに、今後もできれば追っていきたいんだけれども。その時々での判断は、他の作家、作品同様に、行うのが、読書。
雑記 - 村上春樹『若い読者のための短編小説案内』
村上春樹『若い読者のための短編小説案内』を読み終えた。
村上春樹が講師、伝道師の立場になって、日本の、第三の新人に属する作家を中心に、短編小説とその作家の出発と傾向等から描かれているものを、受講者との質疑応答を挿みながら読み解いていく、その読み解き方の視座が、深く広く、別のテーマとなりうる要素が出てきた場合はその旨を言及して テーマを進めていく、という具合に纏められていて、読みやすく、そして取り上げられている短編小説自体を読みたい、好きになって読むことが出来るような気がして、とても良い案内の書だった。
やはり安岡章太郎の小説は読まないといけないようだ、読もう。晩年の作品『カーライルの家』が気になっているので、一足飛びでもそこへたどり着きたい。
小島信夫「馬」の読解、小説自体が作中の家の増築同様に組み立てられているのではないか、そこから、不可思議な告白がそう見えなくなる、というのにいたく感心した。短編小説で一番好きかもしれない「馬」、そういう読み方にて無意識に思っていたことがまた現れてくるのかも、読み返しをいつ行おうかな。
読んだのはソフトカバー版で、文庫版には新たな序文と丸谷才一「樹影譚」の回にて注記が付されているようだ。そちらも読む予定。
以下は長谷川四郎「阿久正の話」の回より引用。
引用箇所だけを読んでも、前後の流れを含んでの意味がある、ということに留意しつつ、この箇所から、小説が軋む所を目撃したい、ということを喚起したので、引用する。そこを読むことが、小説を読む醍醐味の一つと俺は思っている。
なにも喜怒哀楽をいちいち描く必要はないんです。そんなもの全部すっぽかしたっていい。ただしそれは伝わってこなくてはならない。それを読者に伝えられない小説は、やはり一流の小説とは言えないでしょう。僕もそう思います。「最近の小説」のことは僕にはよくわからないし、この話のテーマではないのでパスしますが、一般的に言って、どれだけスタイリッシュに小説を書いていこうと前もって決心していても、書いているうちに内部から否応なく湧き出てくるものというのはやはりあるんですよね。それが設定されたスタイルを内側から突き崩していく。それこそが小説の与える基本的なスリルです。どんな小説だってそれがないと嘘なんです。もしそれが出てこなかったとしたら、そこが小説家にとっての限界の線です。
212、213ページ
雑記 - 2025年のまとめ
2025年のまとめを行う。
ここ数年はブログでは出来ていなかったので、来年以降も行って、振り返るが出来るように、次につなげられるように、書き留めておく。
○2025年読書
読了数 : 96冊
・マンガ : 58冊
・小説 : 16冊
・エッセイ : 7冊
・書籍 : 12冊
・競馬 : 3冊
[ 2025年に読んだ印象的だったマンガ ]
・萩尾望都「ポーの一族」
・はんざき朝未「無能の鷹」全8巻
・河合克敏「とめはねっ!」13、14巻
・清野とおる「「壇蜜」」1巻
・ケンノジ + 藍原るりえ「今夜コインランドリーで逢いましょう」1巻
・すずゆき「盛りあがらないデート」1巻
去年は93冊、今年は体感でも読んでいないなと思っていたけど、大分減っちゃったな。
このままで行くと来年はもっと減りそう、積読を眺めるでなく手に取るようにしたいが、著者の作品から心が離れているとなんとも…。
この名作を読むことが出来て良かった、「メリーベルと銀のばら」はまた読み返したい、氷室冴子による解説 - 堪能の仕方も印象に残った。
来年は、2016年以降のシリーズ作品を読んでいこう。
13、14巻を約10年積んで、もっと早くに読んでおいても良かったなというのと、
作品への興味は一度も途切れなかったから最後まで読むことが出来たという思いあり。
なぜその字を書くのか、どういったスタイルを持って紙の前へ臨むのか、己の心にとことん向き合って今その時の答えを表現していくおもしろさが、巻を重ねる毎に浸透してきて、改めて、読めて良かった。
すずゆき「盛りあがらないデート」
今一番更新を楽しみにしているマンガ。
灰田さんに黒井の一挙手一投足がかわいすぎるんだよな…。距離を詰めたいという行き方はそれぞれで、でもそこへ行きたいことに変わりはないというのが愛らしい。
1巻は6話まで所収、現在の最新話が26話で、コミックスの続刊が待ち遠しい、
GANMAプレミアムに入るべきか、たぶん来月は入っている。
25話での黒井の( 酔いの中での )灰田さんへの評とそれを受ける様にはあてられて、続きがますます楽しみになるのだった。一押しのマンガです。
https://ganma.jp/web/magazine/moriagaranai
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[ 2025年に読んだ印象的だった小説 ]
・阿佐田哲也『麻雀放浪記 4 番外篇』
・氷室冴子『月の輝く夜に/ざ・ちぇんじ!』
・氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』2巻
・氷室冴子『海がきこえる』『海がきこえる Ⅱ アイがあるから』
・北村薫『夜の蝉』『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』
氷室冴子の作品を読み進めた一年だった。
夏に「海がきこえる」の映画をリバイバル上映で観て、作品や著者をもっと知りたくなっててビジュアルブックや放映当時のムック、イラストブック等も読み、
そこにあるパワーにあてられて、よりもっと作品を読んでいこうと思った。
エッセイも読んでいこう。
『なんて素敵にジャパネスク』2巻、
ラストの吉野での雪原にて広がる瑠璃姫の心情と高彬との対話、極上の小説であり少女マンガを読み終えた気持ちがどっ、と舞い降りて、良いものを読むことができた。
これが氷室冴子の筆力なのだと感服…。
そろそろシリーズの続きを読み進めていこう。
北村薫『円紫さんシリーズ』を読み進めることが出来たのも大きな喜びの一つだった。
20年くらい積読にしていて、今年の5月に短編でも良いから小説が読めないかなと思って『空飛ぶ馬』を手に取り、そこから一気に『朝霧』まで読んだ1ヶ月の充実した読書時間は忘れがたい。読書に費やした日々の通勤があんなに一気に過ぎていくとは…。
『朝霧』では、ページをめくりながら、ああ読み終えてしまう、終わらないでほしい、でも「私」の次の感情が紐解かれていくのが気になる…と思い、最後の一行にたどり着いた。この時ここから自分の考え、人脈、コミュニケーションをもってどういったことを行えるか、それは時の流れの中で結果獲得していった賜物なのだと思えた。その結晶のような作品群を読めた充実感が今も続いている。
『太宰治の辞書』はとっておきとして寝かしている、こちらもそろそろ読んで、さあ何を思うか、楽しみ。正ちゃんは出てくるだろうか。
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[ 2025年に読んだ印象的だった書籍 ]
・木村幸治『馬は知っていたか スペシャルウィーク・エルコンドル...手綱に込められた「奇跡」の秘密 』
・浅田次郎『勇気凜凜ルリの色シリーズ 全5巻』
・小林信彦『生還』
・中川一徳『メディアの支配者』上下巻
・『氷室冴子 没後10年記念特集 私たちが愛した永遠の青春小説作家』
・『漫画家本vol.6 あだち充本』
書籍は22冊読んだ。
浅田次郎『勇気凜凜ルリの色シリーズ 全5巻』と氷室冴子関連の書籍で半数を占める、もうちょっといろんなものを読みたい。
小林信彦『生還』を春に読み、冬を目前にした時に高齢の父の入院対応があって、今も続いており、『生還』での治療を受ける側の視点を読めて、こういう捉え方があるのかもしれない、と考えながら対応しているのは、なかなか得難いものだった。
父との会話や、これからの自分の可能性を思いながら等、生活を支えることにいろいろ考えが浮かんでは消えて、まずは出来ることを行う。
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今年の目標に掲げた以下2項目は、今年も達成できなかったので、来年も掲げる。
積読して10年以上、そろそろ、流石に、読みたい、読む。
・ガルシア・マルケス『百年の孤独』を読む
・ジーン・ウルフ『新しい太陽の書』シリーズを読む
同じように目標に掲げていた向田邦子や幸田文の作品を読むは、買うに留まったな…読もう。
全体としては、もうちょっと本を読もう、読む環境を整えていこう、という具合。
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父が秋に入院して、来年のどこかで退院した後、どういった態勢で介護を行っていくのかは現時点では不透明な状態、自分ひとりで抱え込まえず、行政機関や周りの方へ相談して行っていけるようにしたい。
物事は変わり続けていくというのは、仕事でも生活でもひしひしと感じる。
疲れた時は一服したり休んだりして、その時々にかかる負担を極力少なくして過ごしていく。
一定期間無理が出来る年齢は過ぎたので、一日ごとに質良く手を動かせるように努める。
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また次の一年を過ごせますように。
来年40歳になる、40代…想像つかないが、次の1年、10年、その先をちゃんと生きていけるように、
本を読んでレース観戦して眠って力を蓄えよう。
雑記 - 西澤保彦の訃報にふれて思ったこと
今週、西澤保彦の訃報を見て、西澤保彦作品との接点を書き残したくなったので、書いてみる。
と言っても、読んだのは『七回死んだ男』と「もつれて消える」、長編1作 短編1作だけしか読んでいない。
最初に浦賀和宏「PK」目当てで購入したメフィストで「もつれて消える」を読んで、よく分からない内容とねっとりした文体に何かちょっとこれは…という印象を持ってしまった。
少し期間があってから『七回死んだ男』は、読んだはず、というくらいに印象がない、ネタバレをもらってから読んだわけではないと思うが、おもしろかったともつまらなかったとも、感想がない。
そこで作品の読書は途切れている。『七回死んだ男』、俺は読んだんだろうか?買ったのと読み始めた記憶はあるが、話を理解できなかったのか、途中で読むのを止めたのか…。
『完全無欠の名探偵』『麦酒の家の冒険』『依存』『方舟は冬の国へ』等、表紙、あらすじ、世評からそそられる作品があったけれど、手に取らずじまいで20数年過ぎて、著者の訃報を知る。
2002年に読書を本格的に始めて、講談社ノベルスにふれる機会が多かった中で、西澤保彦作品にハマらなかったのはなんだか不思議ではある。出会いがまずかったのか、めぐりあわなかったのか、時々上記で挙げた作品を読もうかなと思い、ついぞページをめくらず…。でも手に取ってみようかと思う。次は良い出会いかもしれないのだ。
西澤保彦の文章で印象に残っているのは森博嗣『冷たい密室と博士たち』の解説で、理知的な筆致に、こういう読み方があるんだ、と導かれた感を覚えている、読書のほぼ初期に読んだはずなので、作品も解説もセットで憶えている。そういう経験があるから、もっと読めるはずなんだよな。
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振り返ると、西澤保彦作品に限らず、今も昔も遅れてきた読者という感じで…。
みんなだいたい読んでいる本をだいたい読んでいない( 内容を読めていないも含む )、一定の層で御用達となりつつある作家に背を向ける、これはこの後もそうかな。
それはそれでどうともしようがないので良しとして、初めて読む作品は俺にとって新作という気持ちで読んでいる。
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訃報関連のポストから、講談社ノベルスの書影を多く見て、それらが刊行されて約25 ~ 30年の時が経過しているのを思い、今は主流ではなくなった形態への追憶なんていうものが降ってきた。ノベルスの棚を見て歩く、ということをいつしか行わなくなっていたな。紙の本を手に取るといろんな記憶が流れ出してくる、電子書籍のパッケージを見返すとそうなっていくのかな。結局は思い入れなのだろう。
雑記 - 三日坊主 / 橋本治『最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く-』
前回のブログの更新から約10ヶ月経っていた…三日坊主だ。年末年始の休養で蓄えたスタミナが切れて、そのまま習慣が消えたようだった。
ここ数ヶ月は仕事の多忙さに疲弊して、長目のフィクションに入り込めず、エッセイや連載マンガをポツポツ読むくらいしか出来ていない、仕事が流石にそろそろ、落ち着けば、落ち着かせられれば、もうちょい心の余裕を出せないものかと…。がんばろう。
*
橋本治『最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く-』を読み終えた。
印象に残った所を引用する。
対象の節、回の本題とはやや外れている箇所になるが、自分が車、バイクを運転できないと決めるに至った感覚がほぼそのままに書かれている、そして、「それでも運転免許を取得したり実際に原付に乗って、運転できない環境という不便性を克服しようとしたかどうか」ということに改めて考えた( 無理なものは無理、回避するためにお金と時間と方法を捻出する、と定まった )、印象的な箇所だった。
バイクや車の運転を初めてしたのは、小学校の四、五年生の頃だから、同世代の他の子に比べりゃずっと早いと思うが、アクセルを入れた瞬間に車がスッと動き出して、その瞬間、「こわい」と思った。自転車なら、こげば動く。でもバイクは、こがないのに動く。自分の身体行為とは無関係に動き出すものを「操る」などということが、自分の頭では出来ないと思った。
私は、自分の身体能力に見合ったことしか出来なくて、自分の身体能力を超えたものを「操る」ということが出来ないのだ。小学生の私にとって、「オートバイや軽三輪を操る」ということは、「お父さんが死んだんだから、お父さんの会社の経営をしなさい」と言われてるようなことで、「そんな巨大な空恐ろしいことは出来ない」である。その恐怖心を埋めるためには、自分の身体能力を高めるしかない-だから、「自分にはなにが出来るんだろう?」と、いつも思っていた。
272ページ
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2006年11月 - 2008年07月の時評を通して読んでいて、ねじれ国会の図式、政権交代前夜の当時の雰囲気を思い返し、現在2025年11月の政治情勢と近しくも似て非なるものと見つめるようになりながら、回を追う毎に当世の風潮やそれを形成する社会の人間たちへの嘆きや悲鳴を強く帯びている感じが、今も続いていると思うと、痛ましさは増幅していった。個が自立する、己を律する、考え続けて現状を打開していく運動性を持っていようと、橋本治の著作、この「ああでもなくこうでもなく」シリーズを読むとその気持ちで引き締まっていく。
シリーズ掉尾を飾る『明日は昨日の風が吹く』を読書中、前半はシリーズ6巻のインデックス版としてよりぬきが収録、連載が始まった頃の筆致を読むと、まだ希望の方が大きかったんだな、加齢や荒廃していく世の中や仕事仲間が亡くなって等から、連載後半は考えと見方がどうしても凝固していく様を感じ取ってしまうな、と、いろいろなことを思いながら、ページをめくる。
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シリーズ前巻『ああでもなくこうでもなく このストレスな社会!』のAmazon レビューより引用する。
橋本治が丹念に粘っこく、自身が理解できない事象について説明していく内容は、著者自身だけでなく理解してもらいたい人たちへ波及し巻き込みステップアップしていこう、という指向性があるのは読んでいていつも思うことだけれど、対象の人はおそらく橋本治の本を手に取らないというのが…だからあんなにも著作があり、対象を広くリーチしていったのだろうと思う。
でも、ま、読んだらいいと思いますよ。残念なことに、橋本が必要な人は橋本を読まないし、読んでもピンと来ないみたいなんですけどね…嗚呼。
雑記 - 植島啓司『競馬の快楽』
植島啓司『競馬の快楽』を読み終えた。
レーベルは講談社現代新書なので、タイトルにある快楽性を様々な文献から紐解いたり研究、探求の精選が展開されていく書籍なのかな、と思って読み始めると、良い意味で肩透かしを食ったというか、著者が心血注いだ競馬、賭け事についてのエッセイが、種々の文献、同じ時を過ごした人たちとの経験をまぶせながら綴られている書籍だった。
なので、ここから知識を得たり参照したりというよりは、 著者の賭け事の語り口に乗れればパラダイス、そうでなければ野放図に手が広がっていく(競馬、ブラックジャック、闘鶏…)様に呆ける感は出るだろう、で、パラダイスなのでした。
読んでいる感じは山本一生『競馬学への招待』 『競馬の書斎学』を読んでいるのが近しい感じ、賭ける側からの、競馬、賭け事のエトセトラを並べていった本書は( いろんな媒体に掲載された原稿を基としているとのこと )、ギャンブラーによる、これまでもこれからもギャンブルをして「遊びは身を滅ぼす」を地で行くことを本望とする、告白と表明の書であり、こうもあっけらかんに綴られていくと、なんだか頼もしく思えるのだった。
とてもじゃないけど真似はできない、向こう側の人によるものだからおもしろい。
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印象に残った所を引用する。
自分がギャンブルをしている時、そうでない時でも、人生を過ごす中に響く文章が、確かな経験、視座から放たれていて、受け止めた。
昔だったら一〇〇ドル負けても、一晩中一睡もできなかったものである。今ではその一〇倍負けても、あまりダメージを受けていない自分に気づくのだった。それはやはり悲しいことだった。
124ページ
競馬にはさまざまな楽しみ方がある。無邪気な数字合わせから血統のドラマに至るまで、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つければそれでよいと思っている。だが、その一方で、真剣に必勝法について考えることもまた大事なように思われるのだ。幾度かの挫折を繰り返しながらも、その可能性の一つの極限にまで至ったベイヤーの真摯な試みこそ、現在もっとも注目に値するものではなかろうか。
174-175ページ
ぼくはこれまでも幾度か繰り返し書いてきたが、競馬の効用、つまり、ギャンブルの効用の第一は「負けた時どう振る舞うべきか」を教えてくれることだ。勝った時のことは別にどうでもいい。長くギャンブルをやってきた人間は、これまで多くの修羅場(と言うほど大げさなものではなくても)と出会ったはずである。何がしてはいけないことか、何がしていいことか、身をもって学んできているはずだ。
(中略)
問題は負けた時のこと。たいていの人が心理的に落ち込む。負けが大きければ大きいほど、その度合は大きい。そんな時、無理をしたり、バタバタしたりする。誰も普段と同じようには振舞えない。人生ではそういうことを経験するチャンスは想像以上に少ない。もしあったとしても、それはかなりせっぱつまった局面である。それによって人生の成り行きが左右されてしまうような時だ。それなのにリハーサルなしときている。つまり、人は必ず深みにはまるようにできている。誰でも勝つ準備はできている。だが、負ける準備は十分できていないのだ。
ギャンブルをする人間は、大敗している時どう振舞うべきかを知っている。それは他の何よりも大事なことだ。自分の思うようにならないツキの波を、それとなく押さえ込んでいくこと、自分の力が本当はとても小さいものだと理解すること、どんな局面になってもたじろがないこと、さりげないきっかけにいつも注意しておくこと、他人に迷惑をかけないこと、敗北が一過性のものだと明確に認識していること。
230 - 231ページ











