暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記-春場ねぎ「五等分の花嫁」、小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』など

 約2年間積んでいた春場ねぎ「五等分の花嫁」13、14巻、完結までようやく読み終えた。

 マガジンポケットにてリアルタイムで読めていたのが12巻収録分まで、その頃から仕事やらなんやらで更新分を積むようになり、気づけば完結しており、次回作「戦隊大失格」が連載開始して巻数を重ねていても読む機会が見つけられないままで、読みたいが読めない、読み終えるには読むしかない、が…というもどかしい時期を過ぎて、少しずつ読み返しながら、今週から7巻に入って一気に続きが気になり、そのまま13、14巻、締めくくりへなだれこんだ。

 そうか、こういうお話となったんだ…というのがまずはの印象で、締めの一言がそのままこの作品にも当てはまって、なんだか微笑ましい。

文化祭編から特に顕著となった時系列の入り乱れや、また父親の存在については、何回も読んでいって頭の中で構成しないと面白みが分からない感じを受け止めつつ、いろいろ唐突で説得力がやや乏しいような気持ちがあって、ここは読み返しの楽しみとなろう。

 最終ページを読んだ後、1巻冒頭や4巻などでの結婚式の描写を読み返し、おお、最後までこの構造で、夢のような日々をまさしく描いたのだと思うと、終盤の五つ子の行動は、夢ではなく本当にそうしたのかもしれないという、この作品のリアリティが伝ってきた。普通はありえないことを逆手にとって描き出す手法がこの作品では鮮やかなだけに、五つ子での行動は、いやしかし…とお話について、結末について、キャラたちについて考えるのが楽しいのが「五等分の花嫁」という作品の素晴らしい所で、また読み返す時を作って、大人になった五つ子の姿に思いを馳せよう。

 

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 舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』下巻は100ページに到達。残り約300ページ、読むモチベーションが上巻を読んでいた1ヶ月前の頃へ回帰したいが、今月の仕事の忙しさを考えると、読み終えるのは7、8月ころになるか…平日に数ページ数行読んでもさっぱり頭に入ってこない作品だけに、まとまった休みで一気に読むほかない。

 

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 小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』を読み終えて、ジョン・トラボルタの出演映画や1950年代の映画でAmazon Primeのウオッチリストへ入れられるものがあれば入れたり、志ん朝の落語を聴いてみたいと思うようになったり、今後の楽しみが少しずつ増えていった。視力の衰えは心許なく、老眼やら乱視やらで今のように活字を目に入れられるかどうかはなんとも言えないので、映画や落語など、いろんな娯楽にふれて、楽しく日々を過ごしたい。

 刊行の順番は逆になったが『コラムの冒険―エンタテインメント時評1992~95』を読み始め、併せて同系統( ? )の本と思い金井美恵子『本を書く人読まぬ人 とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』も読み始める。読書はいろいろな枝を分岐し渡って、楽しい刺激を得るために続いていく、馬鹿の果てなき道、それで良く、そうしていきたいと思っている。