暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記-白倉由美『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』など

 白倉由美『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』を読み終えた。

 著者の来歴と近しい主人公の設定から、どこまでが私小説で、どこからがフィクションなのか…という読み方を行いつつ、次第に、殊に作為的に描いている部分での心の揺れ、目の前の事象に対して自分がどうしたいか、どう対応したか、という所で、読んでいるものがきらきらと光っていることに気づき、それが眩しく映るのは、こういうものを今読みたかったんだな、と感じて、心が和らいでいった。

 他者と交流していく、自分なりにでも大人になろうと向かっていく、いつか得たいところへは己が意思を持って決断して動き出していかなければ辿り着くことはない、それら一社会にとって当たり前とされていることへゆっくりと歩んでいく様が、読んでいてなんだか勇気づけられた。

 『やっぱりおおきくなりません』での書き下ろし第五話「夢をみた、と夢をみる、そして、永遠の祈り」は、あとがきで記載されているように、編集者 - 一人の読者からのリクエストに応える形にて物語を締めくくられていて、一読者として、この書き下ろしはあって良かった。

月を見る人、月から見られている人が不在のまま物語が閉じられるのは、やっぱりなんだか違うだろうな…その人の姿は、最初のお話の頃を思い返すと、もうすっかり大きくなって帰ってきて、これまで来た道をきっと今までのように通らない逞しさがとても頼もしく、そして愛らしいのだった。

 

 『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』この2冊、読むことができて良かった。自分の柔な心の部分が、救われた。

 

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 小林信彦『時代観察者の冒険 1977‐1987全エッセイ』を読み終えたり、山口瞳 + 赤木駿介『日本競馬論序説』を読み進めたり。見ることとその結果をどう踏まえるか、ということを出力するに越したことはない、その時の考えが叩き台となってより次へジャンプできるもんな、と強く感じる。

 今の自分はあれこれじっくり考えることに余裕がなく、その時間を割くことをほぼ放棄している分、過去そうできていた俺は偉いなと振り返った時に思ったことがあり、またそういったところへ立ち戻らなければいけない、人生その繰り返しだなと先達の文章を読んで身を引き締める。

 

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 舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』下巻の読書は苦戦中。抽象的な話がより抽象的な時空と意思と変容の話になってきて、なかなかついていくモチベーションにならない…食らいつくほかないな。

 

 

 

 

 

 

読書雑記-『 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』など

少し間が空いた。

仕事で身も心もくたくたになって、平日は寝る前にちょろっと文章を目に入れるくらいしかできない状態、今週金曜の夜はようやくの休み前となって好きな音楽を聴きながら本を読み進める、もうちょっと緊張は解けてほしいけれど、それはいろいろとごっそり変えなければ無理なのだろう…。平日の日中帯で、読み物を手に取る心の余裕を得たい。

 

太田克史編『 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』を毎日少しずつページを捲って読み終えた。

ファウスト」直撃世代( と括ってしまおう )の俺にとって上の世代を仰ぎ見るような新本格ミステリの作品群は、未だに少ししか触れていないけれど、煌めく星々の群れであることには違いなく、それらを輩出した講談社ノベルスの砦たる人物への親愛なる文章たちを読んでいて、心がじん、となることは止められず、こう作品を読んでいきたいなと改めて思うようになった。法月綸太郎の作品はもっと読もう。

様々な追悼文が並ぶ中*1白倉由美の文章が静かな感動を湛えた短編小説のようで目を引き、一気に関心を持つことになった。早速白倉由美『おおきくなりません』を注文して到着し、先程第一話「月のうさぎは僕達の守り神」を読み終え、この作家が心の中でどんと位置を占めたことを確信。

おもしろい本を、小説を読んでいると疲れが飛ぶことがあるが、今まさにそうだ。

 

*1:自身を過度に飾るアレさ加減が目立ったり、単語を纏まりなく羅列して有機的に結び付けられないといった、個人的に合わない文章もあるにはあるが、それはそれ

読書雑記-舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』上巻、下巻など

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』上巻を読み終えて、下巻「第四部 方舟」を読み進める。

読み進めると書いたが、上巻の「第二部 ザ・パインハウス・デッド」「第三部 解決と「○ん○ん」」の約450ページに亘るパインハウスでの超目まぐるしい推理合戦( ? )と時空のぶっ飛び具合、愛と意思の力にすっかり飲まれ吐き出されてくたくたとなっており、下巻は趣向が変わったのもあってまったりと読書中。いずれエンジンがかかることだろう。

 

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本棚に新しい本を置く所が無くなってきたので、この先たぶん読むことはないだろうな…という本を数十冊取り出した。

今後読みたくなった時は電子書籍で読めばいいと割り切る。と同時に、これから購入する本も、基本は電子書籍にして本棚を埋めないようにしないと、管理できないなと改めて思った。体力も所蔵把握能力も衰えているのは明らかなので、なるべく電子書籍で読んでいこうと思いつつ、より積んでそのまま忘れていくのが電子書籍という所を越えなければ…。

 

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春場ねぎ「五等分の花嫁」7巻を数ページずつ読み進める。

マガジンポケットで12巻辺りまではリアルタイムで読んでいたけれど、仕事やら何やらで数週分読めない状況が続いて、そのまま読む機運を逃して完結、新作の連載開始という時間が経過していた。

読む機運を逃してしまった、読む気持ちが切れてしまった作品をまた読もう!という態勢になるのが難しいのは、歳を重ねるごとにどんどん大きく感じることで、読みたいような読みたくないような半生の気持ちを抱えているのがどうにも居心地悪い。それを打開するのは読むか読まないかの判断しかなく、なのでひとまず読み進める。それにしてもニ乃はいい女だな…。

 

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仕事だけでなく、生活面でもいろいろと行うべきこと、考えることが多くなっているので、書き出し、優先順位をつけて一個ずつ対処していきたい。面倒くさいと思ったら、じゃあ行おう、という考え方を、ここで改めて念頭に置こう。

 

 

 

 

読書雑記-舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』など

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』上巻より「第二部 ザ・パインハウス・デッド」まで読み進める。

……今読んでいるのは『九十九十九』か?と名探偵集結の流れを読みながら思っていたらいよいよ出てきたあの名前たち、そして推理の展開、確認、披露を重ねていっての錯綜に、もう何がなにやらという感じで第二部の終わりへなだれ込んだ。

ミステリって推論が矢継ぎ早にやってきての積み重ねだったっけ?とこれは7年前に浦賀和宏『ふたりの果て / ハーフウェイ・ハウスの殺人』を読んだ時にも思ったことで、読んでいる中で明確に被害者の姿が浮き上がっていない、その存在そのものが確定しないという語りを読んでいると、推論と切り捨てのスピードについていかないと小説に振り落とされそうな気持ちが強くなって、とにもかくにも前へ、前へ進んでいくしかないのだ。

 

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アイドルマスター シャイニーカラーズ」より新イベント、SHHisがメイン「モノラル・ダイアローグス」を読んだ。

にちかが何をしたって言うんだ…いやいろいろやっているか…という終いの引きに変な笑いが出てしまった。

にちか、美琴がプロデューサーからの提案でクリニックを受診しての互いの認知状況を確認する、そこからどうしたいと考え、行動へ移していくか、というのは、一つの現実的な対処が展開されていて、おお、と思いつつ、イベントの最初の方にてバラエティのコーナーで同じゲームを行い、2人の答えが合っていたことを思い返すと、触ることの出来る表面的なことでは同じ所を向ける、見ようとしなければ、触ろうとしなければ熱を実感できない内面について、同じ目標を見ることが出来ていなければ平行ですらないてんでばらな線たちは、どうしてこのユニットを組むことになったのか、そこを改めて見ないと、SHHisの物語が始まる萌芽を見落としそうだが、そこを見つめるのも重い話が横たわっている……。

次は個々のG.R.A.Dでのストーリーになるのか、立て続けのイベントがやってくるのか…続きを待ち受ける。

 

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上記のイベントを読みながら、榎本俊二『えの素 完全版』下巻と『えの素トリビュート えの素トリビュート&他薦傑作集』を読み終える。スピーディーに流れていくコマと驚きに目が通っていた。

自分の性分か、一つの事柄を行っている中で、他の事柄も進められそうだと思うと並行して進めるようにしているが、

目と耳をパソコンで映しているシャニマスのイベント、目をマンガや競馬を映しているテレビに遣りながら過ごしていると、時間が惜しいというのは分かりつつ、一つのことに絞って集中した方が、結局は時間への焦りは少ないのかなと思うことがある。

映画を観る時はそれしか行っていないので、そういう時間を、もうちょっと得ていこう。

 

 

読書雑記-阿部和重『ニッポニアニッポン』、舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』など

ここ最近で読んだもの、読んでいるものを記述する。

 

阿部和重ニッポニアニッポン

→ 先週に同著者の『グランド・フィナーレ』を読み終えた流れで、こちらを読んだ。

読んでいる中での若さ、向こう見ず、短絡的な思考、ご都合的な解釈にこれは俺だけのものだと乗っかる狭い視座、等の描写によるいたたまれなさがなかなかのもので、神の視点での反駁が無い日記の箇所には頭を抱えるほどで、この迷惑な存在感を作り出す手腕に脱帽した。

 土台無理な犯罪計画が、本人なりにパターン展開しながら結局到達出来ないことを悟り、自棄になって宿願が心底どうでもいいことにようやっと明確に気づく様は、そのいたたまれなさの最たるもので、中年に差しかかった年齢の読者としては、改めての他山の石として記憶に留めることとなった。

   出版当時のインタビューを読んで、ラストの伝播は確かにそういうこともあるなと思いつつ、しかしこれは、当人たちのすぐに実行へ移せる行動力と、思考や感情の幼さは、時代が経るにつれての目の前にある現実を生きる切実さの衰弱を現したようでもあり、いろんな意匠を剥ぎ取っていけば、いつの世もとりとめない思考からの転換はこのような普遍的なものでもあり、ここもまた時空を越えるのだと思う。

 さあ、『シンセミア』だ、ということで読み始めた。

 

・読書中

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』上巻と津村記久子『まぬけなこよみ』を読み進める。

ディスコ探偵水曜日』は「第一部 梢」から「第二部 ザ・パインハウス・デッド」へと入る。「水星C」や「大爆笑カレー」といった探偵たちの名前が出てきて、これは奈津川サーガの側面として読んだ方が良さそうという気持ちになった。確か『暗闇の中で子供』で出てきたか、デビューする前の投稿時代での『密室本』で見かけたのだったか…ともかく、探偵たちが集結している西暁編を読み進める。

『まぬけなこよみ』は時候ごとのテーマに沿ったエッセイ集、1編ずつ読んで心の中を換気していく感じで、読んでいて力の抜けるエッセイがどうにも合う。ちびちび読み進めているのでまだ1 /4 程度しか読んでいないが、もっともっと読みたい気持ちが募っている。

 

 

 

読書雑記-色川孝子『宿六・色川武大』、阿部和重『グランド・フィナーレ』等

ここ最近で読んだものを列挙する。

 

・色川孝子『宿六・色川武大

→ いろんな意味でぶっ飛んだ存在感と人をたらしての魅了に満ちた色川武大阿佐田哲也の最期まで過ごした、従兄弟、妻から見た肖像のエッセイで、

この書き手も様々に飛んでいる視座を持っていて、読み進めながら相当な度量がないとこの人の生活に付き合えなかったんだろうな…という手応えが伝ってくるのがおもしろかった。

これからどんどん色川武大阿佐田哲也の著作を読んでいく中で、度々この本に立ち寄って、イメージを補正するというかピントを合わすというか、描かれた姿をまたじっ、と目を凝らすことになるのだろう。

 

 

冬目景「百木田家の古書暮らし」1巻

 → 新作開幕。職業、恋愛、サスペンスの要素が織り交ぜられた群像劇のよう、

これまでのエッセンスの集大成となるような感じを受けた。続きは夏頃に読める模様、楽しみ。

 

 

・浜田咲良「金曜日はアトリエで」4巻

 → 完結巻。4巻は恵美子の視点から、己が感情に気づき、居ても立ってもいられず出張先の先生へ会いに行き…と、自分の行いたいことを悟った時の表情がとても美しく、良いものを読ませてもらった。

…3、4巻は展開が順調に進んでいって引っかかる所がなかった分、1、2巻のワンダーに満ちて読み込むのに時間をかけた方が印象に残るのは、しょうがないか。また読み返して、受ける感想は変わることだろう。

 

 

・小林俊彦「青の島とねこ一匹」6巻

  → 夏の情景、今巻も読んで束の間の一服を過ごさせてもらった。

 

 

阿部和重グランド・フィナーレ

  → そろそろ小説を読みたいなと思い、中編ぐらいの量で何かと探している内に本書を手に取り、読み終えた。

表題作の冒頭、何が描かれているかよく分からなかったが、数ページ読み進めてああ子供服を購入しようとしている所なのか、と思った途端に、作品の世界が頭の中で立体的に現れてびっくりした。こういう文章の組み立て方があるのか…と刺激的で楽しい体験だった。

そうして読み進めて、悔恨とそれでも機会があって対象に接してしまう甘さ、死の方向に流れているのではと合点して食い止めようとする倫理観、どれも一緒くたにそうであるべき人間としての形とならない、なるはずもないという姿が、ただただリアルで息を呑んだ。そして、勿忘草の物語が開幕する…。

神町トリロジーシンセミア』『ピストルズ』『オーガ(ニ)ズム』を読みたい気持ちが高まっているので、次は『ニッポニアニッポン』を読んで、『シンセミア』へ流れていきたい。

 

 

・博「明日ちゃんのセーラー服」1巻

  → 前々から気になっていた作品、そろそろ読もうと思って手に取った。

女の子の制服を着る時の仕草、好きなものを目に映す様々な表情等を、時には異様にも見えるほどのフェティッシュな描き方に面食らいつつ、内容は中学校入学の新生活のフレッシュさがなんとも眩しく、こちらの淀んだ姿は消滅するくらいだ。良いマンガを読ませてくれそうで、楽しみがつづく。

 

 

 

 

 

 

 

読書雑記 - 乗代雄介『十七八より』

乗代雄介『十七八より』、読み始めて約4ヶ月、集中して数十ページを読んでは休み、また読んでは休みで、ようやっと読み終えた。


緊密で、正直何を言っているのかよく分からない文章が記されている意味を惑いながら考え、つまりほぼお手上げの小説を最後まで読み通したのは、この小説は格闘する価値がある、この文体を選択した作者の賭けに乗ってみた、ということになる。

 

光る場面、文章が多くあり、それらが結びついているようなそのことを柔く拒否するような、いろんな記憶を掘り起こす気怠い感じが纏っているのがどうにも魅力的なのだ。

以降、刊行されている作品を読むのがとても楽しみ。

7月に『本物の読書家』が文庫で刊行予定とのこと、そこを読んで、すぐに『最高の任務』を手に取るか…。

 

巻末の群像新人文学賞 選考委員( 高橋源一郎多和田葉子辻原登 )からの選評も奮っている。特に辻原登の以下の言葉に尽きる。

この中身のない小説を受賞作として強く推したのは、時折、何を言っているのか分からないセンテンスやパラグラフから上がる軋り音の中に、ある種の捨ておけない才気が感じられたからである。

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ぶかぶかの文体の可能性に賭けてみよう。


著者がその「何を言っているのか分からない」文章を熟知した上で、ぬけぬけと満天に放つ力強さ、妙な頼もしさに、読者として惹かれずにはいられないのだ。

これこそがまずは才能だな…そして、この小説はそれだけではないのである。読めば分かる輝きだ。