暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記-これまでとこれから

 

 週に1回のペースでの読書雑記は今のところ書けている。読みっぱなしではなく、思ったことを書いておけるスペースがあって良かった。間隔はなるべく遠くならずに、その時々の読書で思ったことを書き留めるようにしたい。

 

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 そろそろ今年の半分が終わるので、改めてという感じで、長い目で見ての読書についてをつらつらと書いていく。

 

 毎年掲げてそのままにしていた、ガルシア・マルケス百年の孤独』と舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』を読むは、前者はまだ手を伸ばさず、後者はゴールデンウィークの纏まった休みを使って上巻を読み終え、下巻の100ページで止まっている状態。内容から、1日数ページずつ読むという形だと目まぐるしく意識が変わっていく話についていけないので、夏のどこかの休みで読み終えたい。ディスコは水星Cと対決することになるんだろうか…。

 

 金井美恵子エッセイ・コレクション全4巻をそろそろ読もう、と思うにあたり、その前に手元にあるエッセイ類の本を読んでから手に取ろう、そうすればおおよそのエッセイがコレクションにて再読となってまた発見があるだろう、と考えて、少しずつ読んでいる。現在は『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』を半分まで、以降は『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』『楽しみと日々』『昔のミセス』『猫の一年』を読んで、冬になる頃には1巻『夜になっても遊びつづけろ』を読み進めていると良いな。

 

 2月に古井由吉『招魂としての表現』を読み終えてから、今年の読書の軸に古井由吉を据えようと考えて、そこから作品を読んだのは『行隠れ』のみでなかなか作品に当たっていないが、作品を入手する機会があればどんどん行っていて、積読が一つの勢力になりつつある。

 古井由吉の小説も1日数ページでも読み進めて手応えを得るタイプではないので、時間を割いて没入したい。冒頭を読みさしにしている『聖』を読んで、まず自選作品1巻を読み終えたい。全8巻を読み終えるのは、いつの日か…40代半ばまでには、読みたい。

 

 氷室冴子の小説やエッセイも読みたいし、小林信彦のエンターテイメント時評や評伝、夢枕獏神々の山嶺』に、今へと流れ継がれている1970、80年代の文化を知りたい気持ちが強くなってメディア史や評論の本を読みたいリストに追加、など、読みたいものは増えていくばかり。毎日何かしら読んでいて、読み終え、読みたい本が追加されて、連綿と馬鹿の果てなき道は続き、歩んでいるようだ。こうしてそのことを書いている今も、いろいろなことや感情を知り得るのが楽しいから、読書の日々を過ごしているのだ。あとは、もうちょっと今出ている書籍に目を配って、最新形を知っておきたいという気持ちを充たしたいところ。

読書雑記-大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』、冬目景「イエスタデイをうたって」など

 先週ブログを書いてから間を置かずに大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』を読了したので、大まかな感想はその時に書いたものから特に変わっていない。

 ジブリ - 宮崎駿作品で国民的な人気を得るようになり、次世代へ歴史と文化を継いでいく側面のある組織と、KADOKAWA - ガンダムを大きな軸として、次第に多様化、細分化していく萌えのまさしく萌芽となるサブカルチャーをどんどん取り込んでメインカルチャーとの位置を変えていく、そういった構図、見え方があるんだ、というのがとてもおもしろかった。それがアニメージュで為された宣言が発端の一つだという、そこに至るまでの歴史の流れと、そこから現在までの文化の氾濫を思うと、「好きなものを好きと言って何が悪い」そのフレーズは、力強いだけに出しどころは慎重に、かつ伝える相手へインパクトがもたらされるように放たれなければならない、という重みを感じた。

 どこで歴史が変わるかなんて本当に分かったものではないな…というおもしろみと怖さをいだきつつ、同著者の『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』を読み始める。

 

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 小林信彦『コラムの冒険 エンタテインメント時評1992~95』を読み終える。プレストン・スタージェスフランク・キャプラの映画をAmzon Prime からウォッチリストに入れる。夏のどこかの休みで観られるといいな。

 

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 長い間、約7年積んでいた冬目景イエスタデイをうたって」10、11巻を読んだ。完結。そして「afterword」も読んだ。
 11巻ラスト3ページ目のリオによるセリフ--「愚か者に幸あれ」がこのマンガ、そして行く末にうってつけで、そうだよな、それを言える人がいて良かったなあ…と思った。そこからいろんなラストカットを見て、ああ、終わったんだ、と実感できた。

 それにしても、榀子を中心にして、とんでもない回り道をしてきた変な人たちだったな…。リクオが榀子を押し切ってみせたり、ハルが榀子ともっとバチバチにやりあっていたら…、いろんな if を考えるのも一つの楽しみだけど、目の前にある感情と現実から、ようやく選択した形が一番愛らしい。

 リクオと榀子のキスに至らんとするページはあまりにもアレで、こんなキスシーンがあるもんかよと思わず笑ってしまい、すぐに、まあ拒否反応ですよね…となり、どちらがフッたのかフラれたのか、それはどちらともで、そこからサラッとあのセリフを言って関係を確認する榀子の無意識さは恐ろしかった…。良いシーンでもあり、やっぱりヤベー女だわ榀子…となる、ならざるをえないよ。その後にリクオと榀子のカットが無いことが、物語の流れからして当たり前だけれど、ホッとした。

 そんなこんながあっても、最終話の見開きでの扉絵と、榀子によるラストカットを見て、最後まで読んで良かったな。

 2000年、中学生の頃に本屋で1、2巻を見かけて読み始めてから、22年経ったのか…3、4巻は単行本発売と同時に読んでいて、5巻以降はなかなか読む手が伸びなかったのは、4巻の柚原の存在感が大きかったのはあったように思う。主要キャラとは異なる、奔放でサバけたあんなに良いキャラはなかなか出てこないだろうと思ったのと、5巻が出るまでに約2年9ヶ月あり、時が経過する内に自分の中でこの作品に一区切りがついていて、続きを読みたい気持ちがあまり湧いていなかったのもあった。それでも、すぐに読めるよう本棚での目に入る位置に置いたまま、完結してから約7年、ようやっと読み終えた。一つの青春が終わったかのような気持ち、リクオとハルの姿が眩しくって、ああ、良かった良かった。

 

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 6月の頭から、読みさしのままにしているマンガを読もう、ということで冬目景「空電の姫君」3巻と「羊のうた」7巻を読んだ流れで、今週は「イエスタデイをうたって」を読んだ。

 完結している作品で読みさしのままにしているものは、柳原望高杉さん家のおべんとう」 / 雨隠ギド甘々と稲妻」 / 筒井大志ぼくたちは勉強ができない」 / 松本剛「ロッタレイン」。読みたいと思っているものはなるべく先延ばしせず意思がある内に読まないと、どんどん手が届かなくなってしまうので、今年中に読みたい。

 

 

 

 

 

 

読書雑記-冬目景「空電の姫君」「羊のうた」、小林俊彦「ぱられる」「セーラー服、ときどきエプロン」、大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』など

 読みさしのままにしているマンガを読もう、ということで冬目景「空電の姫君」3巻と「羊のうた」7巻を読み終えた。いずれも完結巻で、「羊のうた」は幾度目かの再読。

 「空電の姫君」3巻は「空電ノイズの姫君」から数えて6巻目、それだけの話を重ねていたっけ…というくらいに夜祈子がアルタゴに加入してからの印象が強くて、そして磨音と夜祈子ふたり自ずと悟っていたかのような別離、ラストカットの夜祈子の柔らかい表情を見ると、バンドと個人、それぞれの自律性がくっきりと見えて、この形もまた良かったんだろうなと思った。バンドが形成される、磨音が音楽を仕事とする前の話をまたさらっておきたいので、近々に読み返す。

 「羊のうた」7巻、高校生の頃にリアルタイムで完結を見届けてから、折に触れて再読している作品で、ストレートに、千砂の綺麗さ、儚さ、そして生へ焦がれる様が胸に残るのは、時が経っても変わらない。

 茨の道を歩んでいく、伴走して歩ませる人たちも、またここから始めればいい、と一歩踏み出した決心を描いたラストは、今回読んで、心強いなと思った。バッドエンドでもハッピーエンドでもなく、生きることが続いていく、最初から一人ではなく、傍らに大事な人がいることを、改めて知る感じで、八重樫に救われるのだった。また読もう。

 

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 kindle unlimited にまた加入したがお目当ての小林めぐみ食卓にビールを」の読み放題が終わっていてしょんぼり、読み放題で何か読むものはないかと探していると、小林俊彦「ぱられる」全4巻「セーラー服、ときどきエプロン」全4巻があったので読む。

「ぱられる」も高校生の頃にリアルタイムで読んでいた記憶があり、今回がおそらく10何年ぶりかの再読、読み始めるとああこの話、カット、読んだなあ…とすぐに思い出した。ラストで桜がなかなか大胆かつ奥ゆかしい煩悶したことを猫田に言っていて、こんな女の子にドキッとせずにはいられないよなまったく…!

「ぱられる」から小林俊彦という作家を認識して、以降、「ぱすてる」「青の島とねこ一匹」と読み継いでいる中、「セーラー服、ときどきエプロン」は2巻まで読んでいたけれど、あまりにも毒にも薬にもならないマンガすぎてつづきは読んでいなかったが、この機会に完結の4巻まで読んで、これが結構良かった。

 2巻の途中から登場する、新たな住人で、声優を職業としている松田みおの存在をまったく憶えていなくて、本当に2巻を読んだのか疑問だが、意図的に無口にしているみおと、アパートの管理人であるほのかのやり取りが、それまでのほのかがいたずらをやられっぱなしで終わる流れを変えて、ほのかが新たな住人をゲットするべく能動的に行動していく様がマンガに緩急を生んでいて、その流れが続きを読もうという気持ちになり、最後まで読むことができた。ページ数が多くあると、やっぱりドラマがないとどこに気持ちを寄せて読めばいいか迷子になっちゃうんだなあ…。

 

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 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』を読み進めて、もうそろそろで読了となる。べらぼうに面白い歴史物--社会、文化の特異点となった場所、人たちについての歴史、個人史が、ナイーブでなくノスタルジックでもなく、現在から振り返ってどのように影響を及ぼしていったのかを、次の世代以降へ引き継ぐためにしっかりと書き留めようとする意思が全編に行き届いていて、その語りこそ読み手を熱くさせるのだ。

 それにしても、何かを自分で選択するということの責任、重さはどんな人であっても訪れる、その時に、自分はこれからこうしていきたいという未来への感情が乗っていないと、半端なことになりかねないというのを文章の端々に見るのは、楽しみを享受しているばかりじゃなく、他の人に自分の思っていることを伝えて分かち合いたいという気持ちと連動しているからだろうか…受けるだけの人になってもつまんないよ、という、そこからの選択は、さて、自分はどうだろうか。

 

 

 

 

ぱられる 1

ぱられる 1

Amazon

 

 

 

読書雑記-春場ねぎ「五等分の花嫁」、小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』など

 約2年間積んでいた春場ねぎ「五等分の花嫁」13、14巻、完結までようやく読み終えた。

 マガジンポケットにてリアルタイムで読めていたのが12巻収録分まで、その頃から仕事やらなんやらで更新分を積むようになり、気づけば完結しており、次回作「戦隊大失格」が連載開始して巻数を重ねていても読む機会が見つけられないままで、読みたいが読めない、読み終えるには読むしかない、が…というもどかしい時期を過ぎて、少しずつ読み返しながら、今週から7巻に入って一気に続きが気になり、そのまま13、14巻、締めくくりへなだれこんだ。

 そうか、こういうお話となったんだ…というのがまずはの印象で、締めの一言がそのままこの作品にも当てはまって、なんだか微笑ましい。

文化祭編から特に顕著となった時系列の入り乱れや、また父親の存在については、何回も読んでいって頭の中で構成しないと面白みが分からない感じを受け止めつつ、いろいろ唐突で説得力がやや乏しいような気持ちがあって、ここは読み返しの楽しみとなろう。

 最終ページを読んだ後、1巻冒頭や4巻などでの結婚式の描写を読み返し、おお、最後までこの構造で、夢のような日々をまさしく描いたのだと思うと、終盤の五つ子の行動は、夢ではなく本当にそうしたのかもしれないという、この作品のリアリティが伝ってきた。普通はありえないことを逆手にとって描き出す手法がこの作品では鮮やかなだけに、五つ子での行動は、いやしかし…とお話について、結末について、キャラたちについて考えるのが楽しいのが「五等分の花嫁」という作品の素晴らしい所で、また読み返す時を作って、大人になった五つ子の姿に思いを馳せよう。

 

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 舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』下巻は100ページに到達。残り約300ページ、読むモチベーションが上巻を読んでいた1ヶ月前の頃へ回帰したいが、今月の仕事の忙しさを考えると、読み終えるのは7、8月ころになるか…平日に数ページ数行読んでもさっぱり頭に入ってこない作品だけに、まとまった休みで一気に読むほかない。

 

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 小林信彦『コラムは誘う―エンタテインメント時評1995‐98』を読み終えて、ジョン・トラボルタの出演映画や1950年代の映画でAmazon Primeのウオッチリストへ入れられるものがあれば入れたり、志ん朝の落語を聴いてみたいと思うようになったり、今後の楽しみが少しずつ増えていった。視力の衰えは心許なく、老眼やら乱視やらで今のように活字を目に入れられるかどうかはなんとも言えないので、映画や落語など、いろんな娯楽にふれて、楽しく日々を過ごしたい。

 刊行の順番は逆になったが『コラムの冒険―エンタテインメント時評1992~95』を読み始め、併せて同系統( ? )の本と思い金井美恵子『本を書く人読まぬ人 とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』も読み始める。読書はいろいろな枝を分岐し渡って、楽しい刺激を得るために続いていく、馬鹿の果てなき道、それで良く、そうしていきたいと思っている。

 

 

 

 

読書雑記-白倉由美『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』など

 白倉由美『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』を読み終えた。

 著者の来歴と近しい主人公の設定から、どこまでが私小説で、どこからがフィクションなのか…という読み方を行いつつ、次第に、殊に作為的に描いている部分での心の揺れ、目の前の事象に対して自分がどうしたいか、どう対応したか、という所で、読んでいるものがきらきらと光っていることに気づき、それが眩しく映るのは、こういうものを今読みたかったんだな、と感じて、心が和らいでいった。

 他者と交流していく、自分なりにでも大人になろうと向かっていく、いつか得たいところへは己が意思を持って決断して動き出していかなければ辿り着くことはない、それら一社会にとって当たり前とされていることへゆっくりと歩んでいく様が、読んでいてなんだか勇気づけられた。

 『やっぱりおおきくなりません』での書き下ろし第五話「夢をみた、と夢をみる、そして、永遠の祈り」は、あとがきで記載されているように、編集者 - 一人の読者からのリクエストに応える形にて物語を締めくくられていて、一読者として、この書き下ろしはあって良かった。

月を見る人、月から見られている人が不在のまま物語が閉じられるのは、やっぱりなんだか違うだろうな…その人の姿は、最初のお話の頃を思い返すと、もうすっかり大きくなって帰ってきて、これまで来た道をきっと今までのように通らない逞しさがとても頼もしく、そして愛らしいのだった。

 

 『おおきくなりません』『やっぱりおおきくなりません』この2冊、読むことができて良かった。自分の柔な心の部分が、救われた。

 

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 小林信彦『時代観察者の冒険 1977‐1987全エッセイ』を読み終えたり、山口瞳 + 赤木駿介『日本競馬論序説』を読み進めたり。見ることとその結果をどう踏まえるか、ということを出力するに越したことはない、その時の考えが叩き台となってより次へジャンプできるもんな、と強く感じる。

 今の自分はあれこれじっくり考えることに余裕がなく、その時間を割くことをほぼ放棄している分、過去そうできていた俺は偉いなと振り返った時に思ったことがあり、またそういったところへ立ち戻らなければいけない、人生その繰り返しだなと先達の文章を読んで身を引き締める。

 

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 舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』下巻の読書は苦戦中。抽象的な話がより抽象的な時空と意思と変容の話になってきて、なかなかついていくモチベーションにならない…食らいつくほかないな。

 

 

 

 

 

 

読書雑記-『 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』など

少し間が空いた。

仕事で身も心もくたくたになって、平日は寝る前にちょろっと文章を目に入れるくらいしかできない状態、今週金曜の夜はようやくの休み前となって好きな音楽を聴きながら本を読み進める、もうちょっと緊張は解けてほしいけれど、それはいろいろとごっそり変えなければ無理なのだろう…。平日の日中帯で、読み物を手に取る心の余裕を得たい。

 

太田克史編『 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』を毎日少しずつページを捲って読み終えた。

ファウスト」直撃世代( と括ってしまおう )の俺にとって上の世代を仰ぎ見るような新本格ミステリの作品群は、未だに少ししか触れていないけれど、煌めく星々の群れであることには違いなく、それらを輩出した講談社ノベルスの砦たる人物への親愛なる文章たちを読んでいて、心がじん、となることは止められず、こう作品を読んでいきたいなと改めて思うようになった。法月綸太郎の作品はもっと読もう。

様々な追悼文が並ぶ中*1白倉由美の文章が静かな感動を湛えた短編小説のようで目を引き、一気に関心を持つことになった。早速白倉由美『おおきくなりません』を注文して到着し、先程第一話「月のうさぎは僕達の守り神」を読み終え、この作家が心の中でどんと位置を占めたことを確信。

おもしろい本を、小説を読んでいると疲れが飛ぶことがあるが、今まさにそうだ。

 

*1:自身を過度に飾るアレさ加減が目立ったり、単語を纏まりなく羅列して有機的に結び付けられないといった、個人的に合わない文章もあるにはあるが、それはそれ

読書雑記-舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』上巻、下巻など

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』上巻を読み終えて、下巻「第四部 方舟」を読み進める。

読み進めると書いたが、上巻の「第二部 ザ・パインハウス・デッド」「第三部 解決と「○ん○ん」」の約450ページに亘るパインハウスでの超目まぐるしい推理合戦( ? )と時空のぶっ飛び具合、愛と意思の力にすっかり飲まれ吐き出されてくたくたとなっており、下巻は趣向が変わったのもあってまったりと読書中。いずれエンジンがかかることだろう。

 

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本棚に新しい本を置く所が無くなってきたので、この先たぶん読むことはないだろうな…という本を数十冊取り出した。

今後読みたくなった時は電子書籍で読めばいいと割り切る。と同時に、これから購入する本も、基本は電子書籍にして本棚を埋めないようにしないと、管理できないなと改めて思った。体力も所蔵把握能力も衰えているのは明らかなので、なるべく電子書籍で読んでいこうと思いつつ、より積んでそのまま忘れていくのが電子書籍という所を越えなければ…。

 

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春場ねぎ「五等分の花嫁」7巻を数ページずつ読み進める。

マガジンポケットで12巻辺りまではリアルタイムで読んでいたけれど、仕事やら何やらで数週分読めない状況が続いて、そのまま読む機運を逃して完結、新作の連載開始という時間が経過していた。

読む機運を逃してしまった、読む気持ちが切れてしまった作品をまた読もう!という態勢になるのが難しいのは、歳を重ねるごとにどんどん大きく感じることで、読みたいような読みたくないような半生の気持ちを抱えているのがどうにも居心地悪い。それを打開するのは読むか読まないかの判断しかなく、なのでひとまず読み進める。それにしてもニ乃はいい女だな…。

 

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仕事だけでなく、生活面でもいろいろと行うべきこと、考えることが多くなっているので、書き出し、優先順位をつけて一個ずつ対処していきたい。面倒くさいと思ったら、じゃあ行おう、という考え方を、ここで改めて念頭に置こう。