暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書雑記 - 乗代雄介『十七八より』読み進み

 

乗代雄介『十七八より』を92ページまで読み進める。

 

63ページより引用。

地の文に「私」が出てきた!という驚きから引用した。

…いきなり「私」って誰なんだよ!というツッコミを入れつつ、これは、少女が過去を振り返っている回想なのかなと考える。あちらこちらへ詳細に入り組んだ回想をするだろうか、でも叔母から「クラスに佇むスキャンダラスな女の子。物憂げと洗練と、ゾンビみたいな感傷と」と評されもする少女だったら、特段不思議ではないかもしれない。

書かれている内容と、誰がナレーションしているのか、そういった所への興味は読み進める毎に膨れていく。

 

この「適温」に苦しむという弱味がどれほど社交を困難にしてきたかわからない。夏場のリビングに置かれた灰色の首振り扇風機のぬるい風が、私の心を不思議と慰めてくれるのである。どうも、少女といっしょに集中力を失ってきたらしい。

 

読書雑記 - 乗代雄介『十七八より』読み進み

約2ヶ月ぶりに乗代雄介『十七八より』を読み進める。

 

37 - 48ページでの、作中作というのか、
主人公( なのだろうか? )の女子高校生がつけている読書ノートの引用を読んでいて、
そのリリカルさ、いつでもすぐに感傷的へも触れられるような、

地に着いたこっ恥ずかしさが溢れる文章が、

一人語りのラジオを聴いているかのようであり、熱情が迸る感じが妙に楽しく、

そこへ地の文での批評が組み合って、読んでいて不思議な気分が充ちる。

この文章を読んだだけでも儲けものでしょう。

 

この読書ノートは、1年生の時の担任だった古典担当の教師による「朝の読書」での提出していた、進級してからは「朝の読書」が「自習時間」となり、対象が全学年となって自由提出となり、提出者はほとんどいなくなったが、少女は少数派のつける側、とあるが、この内容を提出しているのか…?正気か…?と思うのは、読書ノートの読み手への妙な親愛さを、外部の読み手として一読感じずにはいられないからだろう。この後も引用されるのだろうか。


数回その文章、字面、前の段落を読み返しても意味をつかみにくい箇所があって、
そのまま先へ行きつつ、でも気になってその箇所へ戻って自分なりに理解できるよう考える、これはなかなかに噛みごたえのある小説だ…しばらく集中して読み進めよう。

 

 

以下、47ページより引用。

自分の考える読書、読むこと書くことを撫でられているかのような感覚と、

読み返しても後半の文意をなかなか掴めなくて、印象に残った。

 

一人の部屋で、今一度書き終えたばかりの文章を読み直している少女は、悩みなど全くないように見える。書くことそのものに喜びを見出す性質が、今まさに書いている己を亡き者としてしまう。例えば、水族館への誘いを断られた出来事についての信憑性はかなり疑わしいものがある。数行を埋めるために収まりのいい嘘を書いてみたとすれば、その時彼女は得意である。それでも読後、余白に目を向けた顔が翳りゆくしか道がないように推察されるのは、この一ヵ月の少女の暮らしぶりを鑑みてのことだ。書かれたものというのは、ほとんど一瞬目を離した隙に、作者と読者と世界が鼎立するその中心というよりは重心に巧妙に位置され、今後一切、変動するその位置へと引き離しておくために読まれ始める。いつまでも得意な「善悪の字しりがお」とやらをしてはいられないのである。

 

読書雑記 - 『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 読了

 

古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 を読み終えた。

 

2015年から読み始めて、3編目「旅立ち」の途中で5、6年止まって、
先週読んだ『招魂としての表現』をきっかけに「旅立ち」「落合い」「夢語り」を立て続けに読んだ。

 

末尾の「夢語り」は、「落合い」での旅から泰夫が家へ戻り、

旅立ってしまった姉の通夜を迎えることとなった一日を描いたもので、

両親、下の姉 - 斎子、相互の会話や気遣いの様を読むにつれて、

始めの「行隠れ」のタイトル、冒頭の一文「その日のうちに、姉はこの世の人でなかった。」が肉親へ齎す重さをじんわりと感じて、息をついた。


「夢語り」での泰夫と下の姉 - 斎子の、
寝ずの番をしながら、旅立った姉 - 祥子との思い出をぽつぽつと話尽きるまで語るやりとりが、一時、自分の中に籠もらない、ほっとした気持ちになるのが印象に残った。儀式の必要性というものを読み通して得た感覚。

最後の情景が、そこに至るまでの幻覚であることを泰夫自身が分かっていつつ、
姉が良子のことを口にするのを拒絶するのが、深層の意識として浮かんでいる様かと思い、そして目を覚まして家の訪問者を想像する…、
この先は、読者の想像で昇華していくほかないだろう。

 

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「旅立ち」より、姉と泰夫との会話、227 - 229ページ、236 - 239ページの甘やかなやりとりが印象的で、小説を読んでいて好きなところへ辿り着けた心地がした。

描かれているやり取りは、泰夫の幻覚、心の中で生成されたものか、過去に展開された情景のものか、読んでいて判別としないだけに、その分、どれだけこの姉という存在が泰夫の心に根ざしているのかを知れるとともに、喪失を悟るまでの機微が現れているようで、悲しみが積もりゆくさまが伝ってきた。ここは繰り返し読むことになると思う。

 

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「行隠れ」「嫁入り」「旅立ち」( 前半 )を読んだのは5、6年前で、

内容はほとんど憶えていない。
泰夫と良子の関係性はどこから書かれているのかも分からないけれど、
今回はまず先へ進んでいこうと思って読み返さなかったので、また通して読むことはあるから、その時にどういう感想を持つか。こうしてまた書いていると思う。


続いて、『聖』を読み始める。

 

読書雑記 - 『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 読み進み

 

平日の忙しさにかまけて、3日坊主になることは目に見えているが、とにかく読書中に感じたことを書きつけてみる。

自他問わず、読後の感想を読むことが好きなのでたまに書いたりするけれど、

読書中に思ったこと、感じたことを流れるままに記し、後で振り返ることができるようにもしたいなとずっと前から考えていて、twitterでなぐり書きするようにして、

ブログへ転記して纏めるのがやりやすいかなと見て、ひとまず行ってみる。

 

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古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 - 「落合い」を読み終えた。

地の文から離れて見遣ると、若い男女の気ままな長崎旅行で、夜の繁華街から逸れて坂を登り石段をひらひらと上がっていき、疲れ果てて行き着いた旅館での一幕は、

いかようにも気配を向かわせられる中で( 泰夫も身体として本能としてそちらに向かいかける兆しを自覚している )、

ああも後ろめたさが伝ってくる、襲わせないように寝所をあえて一つにし、唇を交わしながらもセックスは良子がはっきりと拒否して、二人身じろぎもせず横たわる、その様を描き出す夢現の行き来する文章、男女の心情の目まぐるしい動きに読み応えを感じた。

なんというか、息をひそめてその情景を見つめ次にどこへ向かうかを想像する、

普段あまり使わない思考が回転を始めて頭はぷすぷす熱を帯びる、それもまた楽しい。

この先の泰夫と良子の関係性に関心を抱きながら、最後を飾る「夢語り」へ。

 

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今年から当分は、古井由吉の作品を中心に読み進めよう、と決めて、

手元にある本の収録作品や、未入手で読みたい作品を確認している内に、

全集や自撰作品、コレクション等、纏まった作品集を持っている場合は、

それを軸とし、初期から読み進んでいった方が、その作家の築いた道を辿りやすく、また寄り道しやすいと当たり前のようなことが腑に落ちた。

自分が興味を持った作品から読み進めたってもちろん良いが、そうやって作家と出会った時期はもうとうに過ぎて、この付き合い方がしっくり来るようだ。

いろんな補助線を沿ったりしながら小説、エッセイにふれていって、新鮮な感覚を得たい。金井美恵子の作品もそうして読んでいきたい。

 

時間はどんどん過ぎていくので、毎日コツコツと、少しでも、1ページでも、読んでいって、今とは違う所へ行きたい。

読書雑記 - 『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 読み進み

 

断続的に読み進めていた古井由吉『招魂としての表現』を読み終えて、

著者の初期、中期の作品へのアプローチがしやすくなりそうな手応えを得た。

 

そこから、2015年に読み始めて、途中で止まっていた『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 - 「旅立ち」を読んだ。
『招魂としての表現』所収 - 「私の中の小説の女性」を読んでから、
著者の女性の描き方、アプローチの仕方の凄みが少しずつ見えだしてきたのは、

おそらく錯覚ではなさそう。
『招魂としての表現』、「行隠れ」 - 「旅立ち」を通して読んで、

今年はしばらく古井由吉の作品を、初期から読んでいこうと決めた。

 

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上記がおおよそ先週日曜の出来事。

平日の忙しさに身と心が翻弄されて精神が詰まりつつ、ちょっとずつでも読もうと思って『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 - 「落合い」を読み進めているのが今。

その中で、256ページで描かれた泰夫、良子、岩村、亜弥子のやり取りにふふふと声に出して笑ってしまったので、書き留めておきたい。

 

4人、岸壁にあるベンチから遊覧船の泊まる桟橋を眺める中、良子が「海に出てみたいわ」とつぶやくも、他の3人からは黙殺されて落ち着かんとする様が描かれており、

泰夫がメインの3人称にて、それぞれ3人の「この4人で今から海に出る、そのぞっとしない」感じが如実に現れていて、それが尚更、えっこのまま黙殺でいくの…?と思って、笑ってしまったのだった。この妙な気まずさ、なんだかこそばゆくて良いのだ。

そこから亜弥子が打開し、結果、泰夫と良子の2人が乗船して、岩村と亜弥子と別れて旅が続いていくのは、こういう風に水を向けるのが会話だよなあと思って、やっぱり好ましい。

そして良子の唯我独尊ぶりが、亜弥子による、良子との二人旅でのそのきかん坊ぶりを開陳した言葉がまさにそのまま出ていて、底知れなさは果てがないようだ。