暗闇のほとりで

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読書雑記 - 『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 読み進み

 

断続的に読み進めていた古井由吉『招魂としての表現』を読み終えて、

著者の初期、中期の作品へのアプローチがしやすくなりそうな手応えを得た。

 

そこから、2015年に読み始めて、途中で止まっていた『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 - 「旅立ち」を読んだ。
『招魂としての表現』所収 - 「私の中の小説の女性」を読んでから、
著者の女性の描き方、アプローチの仕方の凄みが少しずつ見えだしてきたのは、

おそらく錯覚ではなさそう。
『招魂としての表現』、「行隠れ」 - 「旅立ち」を通して読んで、

今年はしばらく古井由吉の作品を、初期から読んでいこうと決めた。

 

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上記がおおよそ先週日曜の出来事。

平日の忙しさに身と心が翻弄されて精神が詰まりつつ、ちょっとずつでも読もうと思って『古井由吉自撰作品 一』より「行隠れ」 - 「落合い」を読み進めているのが今。

その中で、256ページで描かれた泰夫、良子、岩村、亜弥子のやり取りにふふふと声に出して笑ってしまったので、書き留めておきたい。

 

4人、岸壁にあるベンチから遊覧船の泊まる桟橋を眺める中、良子が「海に出てみたいわ」とつぶやくも、他の3人からは黙殺されて落ち着かんとする様が描かれており、

泰夫がメインの3人称にて、それぞれ3人の「この4人で今から海に出る、そのぞっとしない」感じが如実に現れていて、それが尚更、えっこのまま黙殺でいくの…?と思って、笑ってしまったのだった。この妙な気まずさ、なんだかこそばゆくて良いのだ。

そこから亜弥子が打開し、結果、泰夫と良子の2人が乗船して、岩村と亜弥子と別れて旅が続いていくのは、こういう風に水を向けるのが会話だよなあと思って、やっぱり好ましい。

そして良子の唯我独尊ぶりが、亜弥子による、良子との二人旅でのそのきかん坊ぶりを開陳した言葉がまさにそのまま出ていて、底知れなさは果てがないようだ。