暗闇のほとりで

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雑記-大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論 』

 大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』( 星海社新書版 )を読み終えた。

 宮崎勤の事件への言及、その比率が本の後半に入って大きくなり、被告と弁護人との理解の乖離を少しでも埋める役回りを任ぜられたと思しき著者の語りを読むに連れて、回顧を読む側でもそのしんどさは伝って、ため息をつく。

 「21章 あの日のこと」の末尾はその最たるもので、理解の外側、「企画」の成れの果てを見て、著者がここから世をどう行くか、という所に関心を持ってページを捲っていると、そのしんどさはより濃くなり、何度もため息をついた。

 自己実現としての凶行、プラットフォーム - 個人それぞれの倫理、等、著者の問題意識にふれる面が多くなっていく後半は、読みごたえがあり、かつ、凶行とその様を一側面から解くにつれて陰鬱さが増し、巻末に辿り着いた時はくたくたとなっていた。

 あくまでも本書は著者の視点からの80年代 - おたくの文化を雑多に現したものと捉えて、その前後の文化を考えるステップとして、今後も参照することになるだろう。

 

 同著者の『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』
『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャー戦後民主主義
アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』
『『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代 たそがれ時にみつけたもの』
『物語消費論 「ビックリマン」の神話学 』と読み進めて、戦後の文化の流れを知りたい気持ちがあるので、それらの著者の作品や、別の著者の作品を読んで、輪郭を築きたい。

江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章』
サブカルチャー文学論』も読みたいが、入手できるかな…図書館には無いようだ。

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 『「おたく」の精神史 一九八〇年代論 』、著者の懺悔録のような気もしたな…。

 『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』とはまた違う読みごたえ、後者は書かれた年が前者から10年以上経っているからか、内容の性質もあるからか、ノスタルジーが正面に出てくることを厭わず振り返っている感があり、前者はその時代を生きた、様々な文化、考え方の兆しの一つを作った当事者としての責任に向き合っているため、その頃に浸る感慨は事象を現すには邪魔なため極力排して認めたという感じ。ただ後半はそうも行かない、抜き差しならない感が滲み出ていたなあ…。

 まだまだ思うことはあるけれど、より言葉にできるのは、著者の別作品を読んで文化と時代を知ってからだろう、ということで読んでいきます。

 

 …「エヴァンゲリオン」、観ないと8-90年代文化の一側面を理解できないだろうというのはますます伝わってきたが、観るかなあ…。