氷室冴子『プレイバックへようこそ2』を読み終えた。
大人として生きていく上で、男としても背筋を正す、刺激を受ける文章がいっぱいにあって、手元に置いて読み返したい一冊になった。電子書籍になっていないので、古本で巡り会えるか…。
小説や、そのあとがきに、そして本書のエッセイを読んでいて強く思うことは、氷室冴子という作家は、自身の培った教訓を読み手に惜しげもなく読み物、表現物へと昇華し、その恵みから読み手自身が考えて様々な方向へ行けることに背中を押す、先導者としての役割を果たしていたんだなということ。もっと著作を読んでいかないとな。読みます。
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印象に残った箇所を引用する。前後の文脈を入れないと意図が分からないと思いつつ、そうすると全文引用になってしまうので、かい摘みにて。
一つ目は「あまりにも絵に描いたような男と女のケンカの、典型」から始まる、
男女関係についての作者の意思がストレートに伝わってきた箇所。
スパッと己の懐を斬られる一種の快感と、本当にそうだよな、男女関係、人間関係に於いては、と姿勢が直る感覚を得た。
わたしが、ひとりの男のコと、たとえ友人関係にしろ、
(このヒトは、いい男だ。ながく、おつきあいしたい)
と思うか否かは、
(このヒトは、わたしに母親役をさせないだろう)
という感触があるか、どうかによる。
わたしは恋人か、あるいは気心のしれた、共感しあえる友人になりたいのであって、生みもしない、いいトシした男の甘えを許すだけの母親になりたいわけじゃないのだもの。母親になりたいのなら、ちゃんと子どもを生みます。女優の沢田亜矢子さんみたいに。
70,71ページ
二つ目は平安女流文学について一説を打つ中での、紫式部、『源氏物語』についての考えを開陳している箇所。
『源氏物語』を読みたい気持ちはあるもどこから入ろうかまごまごしっぱなしの俺が、変に構えなくても良いのかな、と思えるようになった、なのでそろそろ読み始めたい!数年前に一巻を買って数ページ読んで敷居が高いかも?と置いている谷崎源氏から読んでみます。
紫式部というのはかなりリクツ屋の性格をしていて、さらにいえば、結果を重視する傾向がある。けっこう、即物的なんです。清少納言は男性的な性格で、紫式部は女性的と思われてるようだけど、ぜんぜん逆。紫式部は、かなり男性的な性格してます。
というのは、源氏の原文よんでるとわかるんだけど、ひとつの物語を語るときに、まず、新聞でいうところのリード-見出しみたいな感じで、ずばっと、エピソードの主題を語っちゃうんですよ。
(ふたりが出会ったのは、そんな頃であった)
みたいな、ひどく単純化したテーマをだしておいてから、やおら、舞台設定のこまかなディテールを、ビジュアル効果にきくばりしながら、ツメてゆくという段取りになってるのです。
源氏君と、それぞれの女君の出会いの舞台は、いつもいつも、なまなかでない工夫があって、季節、衣装、時刻、宮中行事、あらゆる面で効果的な計算があるのです。
「源氏君と女君の出会いパターン」というタイトルだけで、卒論がひとつできるくらい。
そこのあたり、現代でいうとユーミンににてる。恋はもう既定のもの、問題は、その故意を成立させるための背景に力点がおかれてるわけね。
165,166ページ
