むんこ「花丸町の花むすび」3、4巻を読み終えた。
3巻で中心的に、衛との縁結びまで描かれたこともあるけど、完結巻となる4巻にて、コマにちゃんと姿はあるのに、花子の影が限りなく薄かったのが引っかかった。
彗から見る、兄の衛と花子との子、結の家族と、自身の恋やそのもっと先を描く、そこから見えるものが、完結巻の中心となっていることは伝わってくるし、その内容はじんわり染みていって良かったが、作品としてこれでええんかなあ…という気になるのは、時間の経過と共に各々の状況や中心が動き続ける、そこでの継承が、作者のいつもの形になってしまったなあ、この作品を現す特色が見えなかった、という手応えの無さにあるのだろう。
タイトルにあるように著者の作品 - 花丸町で生活するキャラたちのクロスオーバーが作品の要素の一つとして図られており、それらの作品の時間軸から少し先かなり先でキャラが息づいている様が描かれているのを読むと、一層、メイン格の衛と花子、特に花子の影が薄く見えたのが、明るく大雑把な性格が前面に立っていることを考慮しても、3巻で描き終わってしまったのかな…という印象を持った。
書いていることが纏っていないと思う、なんとももどかしいが、著者の作品「だから美代子です」以降、作品がどういう風に始まってもキャラたちが広い所へ拡散して手の届く範囲で愛情を確認するという形で収まるんだろう、という予測が先に立ってしまって、作品を楽しめていない感じが個人的にあるのだった。
みんな異様にテキパキしているのも、スーパーマン的というより、作風が洗練していった結果で幅が無くなってきているような感もして…「だから美代子です」は分岐点だったなあ。
そう思うと、無駄な要素満載の「まりあ17」をちょくちょく読み返すのは、取り付く島もないとは感じていないからなのだろうな。
作家の長期的な活動による洗練に読者がついていけるか、入れ替わりの時期か、ということもあるのかな。「花丸町の花むすび」、一から再読してまた思うことがあるだろうから、その時を待ちます。
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非日常、超常的な事象、展開へ行った「だから美代子です」「出会ってしまったツルとカメ」( 対照として個人感の結びつき、日常生活を過ごしたいという様が浮かび上がっているのはお見事 )、最初から最後まで飄々さが貫かれた「おんぼろ花ハイム」と、竹書房からの近作があまり合わなかった -- 読み返しを行う気が湧かないところに、むんこ作品のある種の集大成 - 作品、キャラのクロスオーバーと時の経過が打ち出された今作もさほど合わず、著者の作品を追う過渡期に入ったとつくづく思う。
「らいか・デイズ」では骨格標本に憑依したキャラが準レギュラー格で登場していたことがあり、その登場回数が増える毎に、著者の作品に追いて行けない感が深くなってきたなあと振り返りそう思う。
いろんな愛の表現…なのかは分からないけれど、要素が唐突というか意外が過ぎて、咀嚼できないまま作品の良さがぼやける印象を持つようになったのだ。
著者の作品が合わなくなってきたなら、去るか、理解できるように読解を続ける、そのどちらかが選択肢として近いだろう、積んでいる最近作を読んで、考えていく。好きな作家で、約20年、作品を読んできただけに、今後もできれば追っていきたいんだけれども。その時々での判断は、他の作家、作品同様に、行うのが、読書。

