暗闇のほとりで

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雑記 - 三日坊主 / 橋本治『最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く-』

 

 前回のブログの更新から約10ヶ月経っていた…三日坊主だ。年末年始の休養で蓄えたスタミナが切れて、そのまま習慣が消えたようだった。

 ここ数ヶ月は仕事の多忙さに疲弊して、長目のフィクションに入り込めず、エッセイや連載マンガをポツポツ読むくらいしか出来ていない、仕事が流石にそろそろ、落ち着けば、落ち着かせられれば、もうちょい心の余裕を出せないものかと…。がんばろう。

 

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 橋本治『最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く-』を読み終えた。

 

 印象に残った所を引用する。

 対象の節、回の本題とはやや外れている箇所になるが、自分が車、バイクを運転できないと決めるに至った感覚がほぼそのままに書かれている、そして、「それでも運転免許を取得したり実際に原付に乗って、運転できない環境という不便性を克服しようとしたかどうか」ということに改めて考えた( 無理なものは無理、回避するためにお金と時間と方法を捻出する、と定まった )、印象的な箇所だった。

 

 バイクや車の運転を初めてしたのは、小学校の四、五年生の頃だから、同世代の他の子に比べりゃずっと早いと思うが、アクセルを入れた瞬間に車がスッと動き出して、その瞬間、「こわい」と思った。自転車なら、こげば動く。でもバイクは、こがないのに動く。自分の身体行為とは無関係に動き出すものを「操る」などということが、自分の頭では出来ないと思った。

 私は、自分の身体能力に見合ったことしか出来なくて、自分の身体能力を超えたものを「操る」ということが出来ないのだ。小学生の私にとって、「オートバイや軽三輪を操る」ということは、「お父さんが死んだんだから、お父さんの会社の経営をしなさい」と言われてるようなことで、「そんな巨大な空恐ろしいことは出来ない」である。その恐怖心を埋めるためには、自分の身体能力を高めるしかない-だから、「自分にはなにが出来るんだろう?」と、いつも思っていた。

272ページ

 

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 2006年11月 - 2008年07月の時評を通して読んでいて、ねじれ国会の図式、政権交代前夜の当時の雰囲気を思い返し、現在2025年11月の政治情勢と近しくも似て非なるものと見つめるようになりながら、回を追う毎に当世の風潮やそれを形成する社会の人間たちへの嘆きや悲鳴を強く帯びている感じが、今も続いていると思うと、痛ましさは増幅していった。個が自立する、己を律する、考え続けて現状を打開していく運動性を持っていようと、橋本治の著作、この「ああでもなくこうでもなく」シリーズを読むとその気持ちで引き締まっていく。

 シリーズ掉尾を飾る『明日は昨日の風が吹く』を読書中、前半はシリーズ6巻のインデックス版としてよりぬきが収録、連載が始まった頃の筆致を読むと、まだ希望の方が大きかったんだな、加齢や荒廃していく世の中や仕事仲間が亡くなって等から、連載後半は考えと見方がどうしても凝固していく様を感じ取ってしまうな、と、いろいろなことを思いながら、ページをめくる。

 

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 シリーズ前巻『ああでもなくこうでもなく このストレスな社会!』のAmazon レビューより引用する。

 橋本治が丹念に粘っこく、自身が理解できない事象について説明していく内容は、著者自身だけでなく理解してもらいたい人たちへ波及し巻き込みステップアップしていこう、という指向性があるのは読んでいていつも思うことだけれど、対象の人はおそらく橋本治の本を手に取らないというのが…だからあんなにも著作があり、対象を広くリーチしていったのだろうと思う。

 

 でも、ま、読んだらいいと思いますよ。残念なことに、橋本が必要な人は橋本を読まないし、読んでもピンと来ないみたいなんですけどね…嗚呼。

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AA%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E3%81%82%E3%81%82%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F-5-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%B2%BB/dp/4944079435