暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

雑記-佐藤正午『小説家の四季 1988-2002』、古井由吉『半自叙伝』

 年末年始、纏まった休みにて本を読む気力が少し湧いてきたのを好機として、佐藤正午『小説家の四季 1988-2002』を最後まで読み終え、今年1冊目の読了本となった。

 『小説家の四季』、その名の通り春夏秋冬の毎に綴られているエッセイにて、執筆している小説の状況について、生活を通して小説のヒント、破片から軸へ組成されていく様となる時を読むのが楽しい。

 本書に収録されているものは『ありのすさび』『豚を盗む』等のエッセイ集にて読んでいたので、再読となり、スパゲティや花火を観て鼻血を出してしまった小さな子、スカボローフェアの歌詞のお話等、数年前に読んだものを、今回は掲載年月がより明記されて、殊更懐かしく読んだ。もっと能天気に事柄に引っかかり、考える余裕があっても良いんだよな。

 佐藤正午の小説は『永遠の1/2』『きみは誤解している』『Y』を読んでいる、小説をもっと読んでいきたいところに、この『小説家の四季 1988-2002』で多く言及されている『放蕩記』『ジャンプ』が気になってきたので、まずは手元にある『ジャンプ』を読み始めた。これは集中して読み通した方が良さそうだ。

 『小説家の四季 2007-2015』は単行本で読んでいることもあるので、初期の作品群を読んでから手に取ろう。その頃には、2016年以降の『小説家の四季』が本となっているだろうか…その連載で言及されているサマセット・モームの作品も読まないとな。

 

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 古井由吉『半自叙伝』を読み進める。

    2012年に刊行された自撰作品集に挟み込まれた月報「Ⅰ 半自叙伝」を読み終え、1982 - 1983年に刊行された作品集にて発表された「Ⅱ 創作ノート」に入った。

 このエッセイを通らないと、俺はきっと『山躁賦』『仮往生伝試文』『白暗淵』へ辿り着けないだろう、という実感があるくらいにそれらの壁は聳えているのが、著者が一人の人間として、生活を営む壮年の人間として、それらの作品に着手して書き上げた時の移ろいにて少し身近に、一気に作品として提出されたわけではないことを知れて、ハードルがようやっと見えてきた。数年後には手に取りたいところ。

 まずは今読みかけている『聖』を読み通すことが、行うこと。競馬に関連して、「中山坂」も読みたい、『野川』も読みたい…楽しみは尽きない。

 

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 ひとまず、これは書いておこう、ということを書き出した。読書をすると、少し気が落ち着いて、そして読むものに触発されて、新しい気が生成されるようだ、それに助けられていることを強く実感する。