雑記-武田百合子『富士日記』上巻、博「明日ちゃんのセーラー服」2~10巻、沢田研二の楽曲、等
書籍は武田百合子『富士日記』上巻を読み終えて中巻へ、橋本治『二十世紀』上巻をぽつぽつと読み進める。乗代雄介『本物の読書家』は停止中、週明けから再開したい。
『富士日記』での事象とそこでの感情について直截な書きぶりに思わずギョッとなってしまうことはあるも、日記だからそう書いている方が当然だろうと思い、としても読み手へぎらりと目を向いているかのような光加減に息を呑む。
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4月に1巻を読んでから間が空いていた博「明日ちゃんのセーラー服」を、そろそろ読もうと思って水曜日に2巻を買って読み、こりゃ一気に読まないとあかんと思い最新10巻まで購入し、帰りの車内から休日を使って読み終える。幸せなひとときを過ごせた。
内容の瑞々しさ、清冽さにきりりとなったり、様々な心と通じ合わんとする時の嬉しさにこちらもほっこりとなったりと、グッとくる瞬間が毎巻幾度もやってくる読み応えが素晴らしい。
そして、読んでいてこちらも何か手を、体を動かして物を作りたいという気持ちにさせる著者独特の表現がぶっ刺さった。明日ちゃんだったら、この人達だったらこういう表現をするだろう、いかにしてそのイマジネーションを形にするか、ということに最大限奉仕して表現をしているというか、時としてマンガであまり見たことのないページ構成 - 1ページ1コマを重ねる、コマ割りを無くして体の動きを流れで見せる、等 - を躊躇なく放つのを読むに連れて、まずその表現を目に入れて体感するのが無上に楽しく、そして、真のオリジナルを生み出そうとしている著者へ敬意を抱くと共に、自分も何か一つそんな表現を行ってみたいという、恐れ多くもそこから道が拓くような、そんな視野が広がっていく爽快感がこのマンガにはあるのだ。
真のオリジナルを生み出そうとしている、という指向性にて、表現の手法や絵柄は異なるが、この著者と楳図かずおは似ている、という認識になった。こんなにオリジナリティのあるマンガだと思わなかっただけに、知らず最新刊まで駆け抜けることができたのは幸せだった。続きが大変楽しみです。
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橋本治『男の編み物、橋本治の手トリ足トリ』にて沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」のカバーがセーターのデザインになったカットを見たりした影響か、
沢田研二「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」を延々と聴いている。しばらくは続きそうだ。メロディに乗って、すごい色気にやられている感じ。歌詞もまた、その時代での批評眼を含めて考えると、いろいろため息が出る…。
日に日に阿久悠の偉大さを如実に知る、文化の享受。今を知りつつ、70年代の文化や流行に目を引かれるのはなんでなのかな…気になっている作家の脂が乗ろうとしている時期だからなのか、時代性に目を瞠るべきものがあるからなのか、それを知ろうとしてその時代の本や曲、映像に手を伸ばすことになるのだろうな。そこから80年代をより知ろうとしていきたいのだ。そこに渦巻いていたパワーを、いろんな立場を通して体験することにより、自分の中で認識を定着させたい、そういう気持ちが今は強い。なのでぼちぼち読んでいきます。