暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

雑記-今更ながらの2022年の簡易まとめ

 twitterで書いていたその年のまとめを、2022年はいろいろあって書く気力が湧かず、2023年へ入っていった。でも何らかの形で書いておきたかったので、タイトルやレース名を書いておく。コメントは今更な気がするので、付さないことにした。今年は書けるようにしたい。

 

○2022年読書

読了数 : 221冊

・マンガ : 173冊
・小説 : 10冊
・エッセイ : 17冊
・書籍 : 14冊
・競馬 : 5冊
・画集 : 2冊

 

2022年に読んだ印象的だったマンガ。
施川ユウキバーナード嬢曰く。」6巻
鬼頭莫宏「姫さまのヘルメット 鬼頭莫宏短編集1987-2022」
・浜田咲良「金曜日はアトリエで」4巻( 完結 )
・博「明日ちゃんのセーラー服」1 ~ 10巻
・tugeneko「上野さんは不器用」9 ~ 10巻( 完結 )
・春場ねぎ「五等分の花嫁」13 ~ 14巻( 完結 )
冬目景イエスタデイをうたって」10 ~ 11巻( 完結 )
雨隠ギド甘々と稲妻」12巻( 完結 )
柳原望「恋は論破できない」3 ~ 4巻( 完結 )
あだち充「KATSU!」全16巻
ひらかわあや「帝乃三姉妹は案外、チョロい。」1 ~ 4巻
・眞藤雅興「ルリドラゴン」1巻
・和山やま「女の園の星」3巻
・雪尾ゆき「この契約は恋まで届きますか?」
・ナナシ「イジらないで、長瀞さん」
春野友矢ディーふらぐ!

 

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2022年に読んだ印象的だった小説。
古井由吉『行隠れ』
色川武大麻雀放浪記 1 青春篇』
・乗代雄介『十七八より』
阿部和重グランド・フィナーレ
白倉由美『おおきくなりません』 / 『やっぱりおおきくなりません』
マイクル・Z・リューイン『死の演出者』


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2022年に読んだ印象的だった書籍。
阿佐ヶ谷姉妹阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし 』
金井美恵子『愉しみはTVの彼方に―IMITATION OF CINEMA』 / 『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』PART Ⅰ,Ⅱ
・色川孝子『宿六・色川武大
山口瞳 + 赤木駿介『日本競馬論序説』
古井由吉『招魂としての表現』 / 『折々の馬たち』
・編 太田克史新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』
大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』
武田百合子富士日記』上中下巻


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2022年の印象的だったレース。
共同通信杯( ダノンベルーガ )
ダイヤモンドS( テーオーロイヤル )
中山記念( パンサラッサ )
皐月賞( ジオグリフ )
天皇賞・春( タイトルホルダー )
かしわ記念( ショウナンナデシコ )
ヴィクトリアマイル( ソダシ )
平安S( テーオーケインズ )
オークス( スターズオンアース )
日本ダービー( ドウデュース )
安田記念( ソングライン )
帝王賞( メイショウハリオ )
宝塚記念( タイトルホルダー )
CBC賞( テイエムスパーダ )
小倉記念( マリアエレーナ )
新潟記念( カラテ )
セントライト記念( ガイアフォース )
スプリンターズS( ジャンダルム )
毎日王冠( サリオス )
京都大賞典( ヴェラアズール )
アイルランドトロフィー府中牝馬S( イズジョーノキセキ )
菊花賞( アスクビクターモア )
天皇賞・秋( イクイノックス )
エリザベス女王杯( ジェラルディーナ )
ジャパンカップ( ヴェラアズール )
京阪杯( トウシンマカオ )
阪神ジュベナイルフィリーズ( リバティアイランド )
・2歳新馬( マイネルラウレア )
中山大障害( ニシノデイジー )
有馬記念( イクイノックス )
東京大賞典( ウシュバテソーロ )

雑記-古井由吉『半自叙伝』

 古井由吉『半自叙伝』を読み終えた。

 年末年始に集中して読み進め、この連休で「創作ノート」後半以降を読んで、一息ついた。読んでいくうちに、自分がもやもやと感じる先行きや考え事等が、捉え方を変えてみてはどうかというヒントを徐々に得て、気分が今は底にないと思えるようになって、良かった。

 取り分けて自分の今の年齢-30代後半からその先での行動、思考、時の印象を記した文章が、先人の一つの道を辿ることができて、おそるおそるでもしっかりと渡る他ないな、やっぱり、まずはそう行こうと自分に了承できた。

 

 30年の時を隔てて刊行された2個の作品集に収録された、自身の生まれてこれまでを「創作ノート」「月報」として認めたものと、書き下ろし「もう半分だけ」を収録した本書。

 ( 今年1/3に書いた記事より引いて )このエッセイを通らないと、俺はきっと『山躁賦』『仮往生伝試文』『白暗淵』へ辿り着けないだろう、という実感があるくらいにそれらの壁は聳えているのが、著者が一人の人間として、生活を営む壮年の人間として、作品に着手して書き上げた時の移ろいにて少し身近に、一気に作品として提出されたわけではないことを知れて、ハードルがようやっと見えてきた。
 まずは今読みかけている『聖』を読み通すことが、行うこと。競馬に関連して、「中山坂」も読みたい、『野川』も読みたい、著者自身が燥いでいるという長編、短編も読みたい、どこかで「杳子」を読み返すこともあるだろう…楽しみは尽きない。

 

 書き下ろし「もう半分だけ」より2つ引用する。

 

 それにしても、同じ事柄でも中年からと老年からとでは、その記憶が違ってくるものだ。多くの場合、年月を経たほうの記憶を間違いとしなくてはならない。しかし、それでは後の記憶を取り下げるべきかと言うと、そうとも限らない。そちらのほうが、輪郭はぼやけても、生涯にわたる意味合いをふくむことがある。記憶は年を取るにつれて末端から枯れて行くが、根もとのあたりからふくらみ返して来もする。それ自体が生き物であり、あるいは記憶の主よりも、その認識よりも、生長力があるのかもしれない。記憶の音は実際の体験に留まるのか、それを突き抜けて深く降りるのか、判じ難い。

 

 見た事と見なかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、その境が揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる。 そんな癖を抱えこんだ人間がよりもよって小説、つまり過去を記述することを職とするというのも、何かとむずかしいことだ。 それでは文章が、どう推敲を重ねたところで、定まらないではないか。しかしまたそんな癖の故に、この道へつい迷い込んで、やがて引き返せなくなったとも思われる。吃音の口にも似て詰屈したこの手がたどたどしく、切れ切れに繰り出す、その言葉のほうが書いている本人よりも過去を知っていて、生涯を見通しているような、そんな感触に引かれ引かれ、ここまでやって来て、まだ埒があかないというところか。

 

 考え続けること、書き続けることによって放たれる言葉が、人をどこへ辿り着かせようとしているか、その思いがけなさ、底知れのなさをまた改めて認識させられる文章だった。老年となっても、まだ埒があかない…、この後に配置された、自身の年の取り方についての考えを読むと、この作家の凄みを感じる。小説、エッセイ、作品を読み進めていこう。

 

 

 

雑記-河村清明『【増補版】ゴールドシップ 黄金の航海を支えた「人の和」と新たな船出の物語』

 河村清明『【増補版】ゴールドシップ 黄金の航海を支えた「人の和」と新たな船出の物語』を読み終えた。

 ゴールドシップが繋養されているビッグレッドファーム、その創設者・岡田繁幸が、2019年の札幌2歳Sゴールドシップ産駒がワンツーを決めた時( 1着ブラックホール、2着サトノゴールド )に発したコメントを引用する。

勝ったブラックホールパドックで見て、小柄ではあっても、あれこそゴールドシップじゃないと出ない体質だな、と感じたんです。ほかのタネ馬を何十頭、何百頭付けても、ああいう体質の産駒は出ないものなんですよ。

"真剣に走れ"と命令された時に、体の芯に力が入って、ギューンと伸びられる。それは遺伝子の力、血統のなせる業なんです。鍛えられてどうこう、ではないんですね。

 

 このコメントを読んで、昨年2022年の末、12月18日(日) 阪神5R 2歳新馬を制したマイネルラウレアの走りを思い出した。

 直線の途中で外に進路を取られると、ゴム毬のように馬体が躍動しぐんぐんぐんぐんと伸びていって差し切ったその脚こそ、上記のコメントがまさにと思ったのだ。

 マイネルラウレアの父はゴールドシップ、母父はロージズインメイ、そこはオークスを制したユーバーレーベンと同じ配置、血統を見ていくと母マイネボヌール、母母コスモフォーチュン、母母父マイネルラヴ、…とサラブレッドクラブ・ラフィアンゆかりの血ばかり、そのマイネルラウレアが牡馬クラシック戦線へ名乗りを上げ、活躍してゆくことを夢見る。直線のあの走りは、人に大きな夢を見させることができる、父譲りのスケールの大きさがあると、一競馬ファンとして期待している。

 …こう書くにつれて、現役時代も、種牡馬になっても、夢のある馬なんだなとつくづく思う。本書でのゴールドシップのオーナー、生産者サイドの関係者のコメントや、( コロナ禍前での )見学に訪れるファンの様子等を読んでいくと、長生きして、世を魅了していってほしい、と切に願わざるをえない、ゴールドシップ

 

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雑記-佐藤正午『小説家の四季 1988-2002』、古井由吉『半自叙伝』

 年末年始、纏まった休みにて本を読む気力が少し湧いてきたのを好機として、佐藤正午『小説家の四季 1988-2002』を最後まで読み終え、今年1冊目の読了本となった。

 『小説家の四季』、その名の通り春夏秋冬の毎に綴られているエッセイにて、執筆している小説の状況について、生活を通して小説のヒント、破片から軸へ組成されていく様となる時を読むのが楽しい。

 本書に収録されているものは『ありのすさび』『豚を盗む』等のエッセイ集にて読んでいたので、再読となり、スパゲティや花火を観て鼻血を出してしまった小さな子、スカボローフェアの歌詞のお話等、数年前に読んだものを、今回は掲載年月がより明記されて、殊更懐かしく読んだ。もっと能天気に事柄に引っかかり、考える余裕があっても良いんだよな。

 佐藤正午の小説は『永遠の1/2』『きみは誤解している』『Y』を読んでいる、小説をもっと読んでいきたいところに、この『小説家の四季 1988-2002』で多く言及されている『放蕩記』『ジャンプ』が気になってきたので、まずは手元にある『ジャンプ』を読み始めた。これは集中して読み通した方が良さそうだ。

 『小説家の四季 2007-2015』は単行本で読んでいることもあるので、初期の作品群を読んでから手に取ろう。その頃には、2016年以降の『小説家の四季』が本となっているだろうか…その連載で言及されているサマセット・モームの作品も読まないとな。

 

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 古井由吉『半自叙伝』を読み進める。

    2012年に刊行された自撰作品集に挟み込まれた月報「Ⅰ 半自叙伝」を読み終え、1982 - 1983年に刊行された作品集にて発表された「Ⅱ 創作ノート」に入った。

 このエッセイを通らないと、俺はきっと『山躁賦』『仮往生伝試文』『白暗淵』へ辿り着けないだろう、という実感があるくらいにそれらの壁は聳えているのが、著者が一人の人間として、生活を営む壮年の人間として、それらの作品に着手して書き上げた時の移ろいにて少し身近に、一気に作品として提出されたわけではないことを知れて、ハードルがようやっと見えてきた。数年後には手に取りたいところ。

 まずは今読みかけている『聖』を読み通すことが、行うこと。競馬に関連して、「中山坂」も読みたい、『野川』も読みたい…楽しみは尽きない。

 

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 ひとまず、これは書いておこう、ということを書き出した。読書をすると、少し気が落ち着いて、そして読むものに触発されて、新しい気が生成されるようだ、それに助けられていることを強く実感する。

 

 

 

 

 

雑記-芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」1 ~ 8巻、古井由吉『半自叙伝』、読んでいるweb連載マンガ、等

 芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行」の読み返しを始めて、現在8巻の辺り。

 1巻毎に、読み終えて裏表紙を見、値段を目に入れてちょっとおどろく。大体420 ~ 470円、今だとあの厚さではプラス200円くらいするんだろうか…約25年前が初版。

 じっくりと読み返すのはたぶん今回が初めて、変わりゆく景色と人の成長、佇む自分、抗いようのない時の流れに対峙してのモノローグが、初読の約17年前とはまた別の実感を伴って身体を行き渡った。前に行くのは、なんやかやで楽しい。

 

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 読みかけの本たちを手に取り、ページに目を通すもしっくり来ずを繰り返している内に、古井由吉『折々の馬たち』を読んだ流れでエッセイをもうちょっと読みたい気持ちがあることに気づき、古井由吉『半自叙伝』を読み始める。

 戦時下に生まれ、空襲の恐ろしさ - いつやって来るか分からない、来るまでの間に緊張と弛緩を絶えず過ごさなければならない辛さ - 等、戦争体験から始まる自叙伝で、今この時に読む、その緊張が合うのは、憂いをつとに感じずにはおれず…、少しずつ、大事に読み進める。

 

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 2022年10月時点のweb連載で読んでいるマンガ一覧。

 今読んでいる連載ってどれくらいあるんだっけ…と把握したくなったので、書き出した。

 4年前に同様に書き出してみたものを読み返すと、その頃と比べて本数は半分くらいになっていて、やっぱりそんな感じになっているか…と改めて認識。新しいものを追えていないのが数に現れていて、もうちょっと読みたいところ。

 雪尾ゆき「この契約は恋まで届きますか?」の更新が待ち遠しい、コミックスが出たら買おう。

 

少年ジャンプ+
・水あさと「阿波連さんははかれない」( 隔週日曜 )
・へじていと + 山岸菜「全部ぶっ壊す」( 毎週日曜 )
・雪森寧々「久保さんは僕を許さない」( 毎週水曜 )

 

○マガポケ
・ゆずチリ「きみとピコピコ」( 隔週日曜 )
・ナナシ「イジらないで、長瀞さん」( 隔週火曜 )
・三簾真也「幼馴染とはラブコメにならない」( 毎週火曜 )
・ひととせひるね「どろぼうちゃん」( 毎週火曜 )
・船津紳平「東大リベンジャーズ」( 毎週水曜 )


○コミックメテオ
ユキヲ「邪神ちゃんドロップキック」( 隔週(?)水曜 )


くらげバンチ
・帯屋ミドリ「今日から始める幼なじみ」( 隔週(?)火曜 )

 

コミックゼノン

・のりしろちゃん + 魚住さかな「オタクに優しいギャルはいない!?」( 月間 )

 

ヤングエースUP
・長岡太一「帰ってください! 阿久津さん」( 毎週月曜 )


○コミックNewtype
古賀亮一ニニンがシノブ伝ぷらす」( 毎月第4金曜日更新 )


○サンデーうぇぶり
ひらかわあや「帝乃三姉妹は案外、チョロい。」( 毎週土曜 )
ありま猛「『あだち勉物語』~あだち充を漫画家にした男~」( 月間 )

 

○マンガクロス
桜井のりお「僕の心のヤバいやつ」( 隔週火曜 )

 

ニコニコ静画
・東ふゆ「顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君」
・りょん「地雷なんですか?地原さん」
・MIGCHIP「メスガキのいる喫茶店
・森井暁正「百合のあいだは悩ましい 」
・雪尾ゆき「この契約は恋まで届きますか?」
・天那光汰 + いつき楼「おひとりさまでした。 ~アラサー男は、悪魔娘と飯を食う~」
氏家ト全「八乙女×2」
春野友矢ディーふらぐ!
・うかみ「ガヴリールドロップアウト
・村中悟「俺の姉の行動が尊い。」
・六志麻あさ + 業務用餅「追放されたチート付与魔術師は 気ままなセカンドライフ謳歌する。」

 

 

 春野友矢ディーふらぐ!」は Amazon Kindle Unlimited で掲載誌「月刊コミックアライブ」最新号を発売日に読めるので、まずそちらで読み、約10日後にニコニコ静画で掲載されたものをコメント付きで読む、ここ数年で一番楽しみにしている連載マンガ、会長のかわいさが天井知らずでラブコメ戦線に殴り込み、この先一体どうなっていくんだ…次回は11月末、楽しみでならない。

 

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 10/23(土)はアイドルマスターシャイニーカラーズ「283PRODUCTION UNIT LIVE MUGEN BEAT」1日目を配信にて視聴、精一杯にやりきる、エネルギーを放つ姿に元気が出る。SHHISのパフォーマンスを見ると、早くG.R.A.D.の実装が待たれる…。

ストレイライトの圧倒的なパフォーマンスに、ただただ体を委ねる、いつかソロライブがあると良いな。

 

 

雑記-武田百合子『富士日記』下巻、古井由吉『折々の馬たち』、等。

 武田百合子富士日記』下巻を読み終える。

 引用二つ。

414ページ

 今年の夏も無事に終った。だんだん夏が短くなるように思える。 今日、私が雨に濡れて戻ってきて、台所の床で滑って溜息をついたら、「お帰りなさい。ご苦労さん。俺、何にも手伝えないから、トラが一人で大活躍」などと、 ねぎらってくれるのだ。あの人は食堂の椅子に腰かけてこっちをみながら。そんなことは言わなくてもいいのに。私は一人でこうしていると、のどがつまってくる。

 夫・武田泰淳の病状が日に日に思わしくなくなる中の、ここのやり取りに、読んでいるこちらも自身の身近な記憶たちが思い起こされ、胸が詰まる。

 

383ページ

 三時にタイヤキを食べるとき「タイヤキがこんなにうまいなんて知らなかった。何でも馬鹿にしたもんではない」と、私に訓示を垂れる。私は「生れてから、一度もタイヤキを馬鹿にしたことはない」と言う。

 読んでいて妙なユーモアにふふっと笑いを誘われてしまった。俺も一度も馬鹿にしたことはないな、タイヤキ。良い返しだな…。

 

 日記を書き留め、読んで追憶する、そうしたい意思は始めた時には強く意識していなくても、追々、生活が変わっていくごとに意味が帯びていく、読み返しては懐かしいその人たちの姿が立ち現れるから、やっぱり書いておいた方が良い、と思う。

 そんな事を考えながら、大岡昇平『成城だより 付・作家の日記』を読み始める。文学 / 物語理論に言及している箇所はこちらに素養がないのでちんぷんかんぷんで読み飛ばし気味、また引っかかるときが来たれば当たるだろう。

 

*

 

 古井由吉『折々の馬たち』を読み終える。

 「雨の中山 芋の月」内にある「澄んだ目で」の、競馬場で馬券を買う風情が読んでいてなんだかもう、たまらないものがある。

 競馬場に行くと、いつでも来ているような老人の姿が見受けられ、レースごとに二、三百円ずつ、うしろからのぞくとなるほどおもしろい馬券を買っている。私もいつか隠居ということができたら、あれをやりたい。となると、いまのうちから、あのやり方を、タシナンでおくべきか。

 

…(中略)

 

 それからゆっくりと窓口に行き、例の老人(あるいは老人たち)の姿を思い浮かべながら、連勝を二点だけ、ちょっぴりずつ買った。三頭選んでおいて馬券は二点、一点はわざと抜いておくところなどは、聖人の道といえるぐらいなものだ、とひとり悦に入った。

 この金額ならのどかにレースを楽しめる、いつでも、こうありたいものだ、とスタンドに早めにもどってレースを待った。こういう時は、心のほうも澄んでいるものだから、見こんだ馬はたいてい来る、しかし入るのは、どうせ、抜け目のほうだろう、と淡々と思いながら。ところが二点のうち、千八百円あまりのほうが、ズバリ来てしまったのだ。

 シマッタア-いや、はしたない。本格的に買っていればよかった、と呻く心をかろうじて呑みくだすと、その底からほのぼのと、いやあ、こういうものですよ、欲がないので見える、見えるから来る、来てもちょっぴりしか買ってない、つぎに欲が出る、目がくらむ、たくさんつぎこむ、これを幾度くりかえして来たことか、と喜びがとめどもなく湧いてきた。

 本当に、馬券が当たる、心が浮いて次につぎこむ、たまに大きく出られてこその的中馬券を手にする時もあるから、その未来がちらついて厄介、しかし、すんなりと馬券が当たった時の喜びは、引用のように、いつになってもかけがえない。

 馬券での喜怒哀楽、現役、引退馬の今を生きる様を直に目にしたり、過去のレースでの走りぶり、相手馬との競り合いを思い返して、感情が動いていき、巡る歳月を馬、レースとともに重ねていく様が、自分もこうありたい、と一競馬ファンとして強く思うのだった。また競馬場で、パドックとスタンドをうんうん悩みながら行ったり来たりして、レースを観たい。

 それにつけても、「優駿」誌に掲載された連載やその他競馬関連の文章について、完全版を読みたいところ…古井由吉全集がいつか出る時、そのすべてを読んで、古井由吉を通して競馬という空間に放り込まれたい。出版社への希望を投書すれば良いのか、今後の刊行物でのハガキに持続してリクエストするか…連載を通して、1980年代後半 - 2010年代後半の競馬を、達人の目からまた見通したい。

 

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 ここのところ明晰夢を見る日がぽつぽつとある。疲れを取ることにもっと向き合わないといけない、と考える。精神的にキツイと感じるのも、過度の心配、怯えから来ているような感はあるので、心を和らげる手立てを少しでも加えていきたい。浴槽に浸かることからかな…。読書してリラックスできているのは実感している。

 

 

 

 

 

雑記-矢作俊彦『引擎/ENGINE』『悲劇週間』、古井由吉『折々の馬たち』、ひらかわあや「帝乃三姉妹は案外、チョロい。」1、2巻、等

 小説を読みたい気持ちが湧いてきて、矢作俊彦『引擎/ENGINE』を手に取り時間があればぐびぐび読み進める感じで昨日読み終えた。

 終盤にかけて、ファム・ファタールの超人さにやや追いて行けない感じになって、読むのを何日か休んだりもしたけれど、事態の速さと大人の手管で処理しつつ巻き込まれていく描写に乗って、いよいよ最終ページにたどり着き、游二によるファム・ファタールとの反転となるお別れ、何も残さないエンディングがこの小説にふさわしく、本を閉じると、映画館でこの『引擎/ENGINE』という映画を観てエンドロールを見届け席を離れて外へ出る、そんな気持ちにふとなった。

 冒頭に記載されている大藪春彦への言及やネット上の感想を読んで、大藪春彦作品に興味を持った。いつか読もうと思っていたけれど、この読書が契機として、『野獣死すべし』『蘇える金狼』『汚れた英雄』『血の来訪者』等を読んでみよう。

 

 『引擎/ENGINE』を読み終え、もうちょっと矢作俊彦作品に浸かりたいなと思い、積読棚より『舵をとり 風上に向く者』『夏のエンジン』『悲劇週間』を取り出し、長編で行こうと思い『悲劇週間』を読み始める。

 「ぼく」 = 堀口大學20歳、やや青臭い一人称の語りと矢作俊彦という作者名に面食らいつつ、随所に矢作俊彦の流麗な言い回し、会話や思いの切り返しが出ていて、このマッチングもまたアリだなと思いながら読み進めている。ここも楽しい時間を過ごせそうだ。

 

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 古井由吉『折々の馬たち』を読み進めている。

 収録されているのは1985、86年に『優駿』で連載された「馬事公苑前便り」、去年刊行された『こんな日もある 競馬徒然草』に所収のものと比べて一回の分量が多く、その時々のレースだけでなく、住居の近くにある馬事公苑での景色、心情風景、また牧場へ寄った時に見かけた種牡馬繁殖牝馬たちの生き生きとした様等、読み応えがまた異なっていて、一編一編噛みしめるようにゆっくりと読んでいる。

 

 パドックでは最後に目を見る。これは馬の目のことだ。いかった、凄みのある目、条件戦では、それがいいように思う。しかし重賞からビッグレースまであがると、深く澄んだ感じがよろしいようだ。それに力がひそんで、ときにきらりと輝き出る、と来れば申し分ないところなのだろうが、私の好みとしては、落ち着きの中にそこはかとなく不安の色を漂わす、いくらか心細げな目を選ぶ。

 古井由吉『折々の馬たち』82ページ、「なま見えの楽しみ」より引用。

 引用箇所は「なま見えの楽しみ」の節「パドックでは」の締めにあり、この「パドックでは」の内容、実感が迸っていて良い…。

 パドックで馬の目を見る、というところまでは意識していなかったな、面構えを見るはしていたけれど、そうか、目か、と読んでいて妙に腑に落ちるものあり、映像でどこまで情報を得られるか、と引きつつ、明日、パドックでは頭に置いてやってみよう。

 「なま見えの楽しみ」では序盤の65 - 70ページにシンボリ牧場でモガミとパーソロンを見た時のことについて詳述されており、モガミの行く行くはこの牧場のボスは俺だ、という様を認めた文章を思うと、この末尾にある馬力、威勢を見るは、まずはの必須条件、そこから先は総合力と洗練なのだと改めて。目に物語が宿る、運命の趨勢を見る、確かにその通りだ。

 

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 サンデーうぇぶりにて「土曜日の更新作品ランキング」でひらかわあや「帝乃三姉妹は案外、チョロい。」が1位となっているのを見かけて読み始め、ラブコメ好きな自分にとって終始ニマニマできる作品ですっかりハマる。

 1、2話を読んでからすぐに1、2巻を電子書籍で購入して読み、未刊行分から最新の配信回までを含めて何度も読み返し、そう、優を含めて全員チョロいんだ…!壁なんて自分から作っていただけで見えない穴を突かれて心が良い方向へ開放されたのならあとは大切な人へ表現するばかりなのだ、そんな感じで三姉妹同士でコミュニケーションをしているのが読んでいて気持ち良い。

 10月発売予定の3巻は長女 一輝のデート回が収録、まさに変身というべき一つの壁を打破するためのお話、これも読み返したい、良い作品に出会えました。

 

 

 

 

 

 

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