暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書


 休みだから家にいるだけでなく外出したいと考えていても、息をするのもやたら力が要るような外の暑さにやられて家に引っ込む。電気代が怖い……。


 小島信夫『残光』残光 (新潮文庫)を読みおえる。
 読みおえて、"小島信夫者"でありつづけたいと思ったことだ( 著作はこの『残光』が初めて読むものだったが )。
 ラストでの「もはや妻には直接、手をさしのべることはないのだから」という老夫婦の、不確かながら相手へ接近していく一言二言のやり取りに響きがあり、ぐっと来た。ここからまた小説が始まっていく気がして、とても良かったのだ。作中での別の作品からの引用であるピクニックの情景のように引用したいが( ややこしい! )、ここだけを取り出してもしょうがないので、ラストの情景を読むことができてとても良かった、ということを書き留めておく。あとのだいたいは、山崎勉の解説を読み、また本文をくり返し読むことによって、記憶のごった煮から取り出す手つきから現れる作家の明晰さに凄みを感じるばかりだ。
 ここでまた小島信夫という大きな山のふもとに立つことができた。あとは登りゆくのみだ。


 通勤の間や家に帰ってから、津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』やりたいことは二度寝だけ中原昌也中原昌也作業日誌 2004 - 2007』中原昌也 作業日誌 2004→2007を読みすすめる。
 中原昌也中原昌也作業日誌 2004 - 2007』の書き連ねていく膨大なCD・DVD・本の購入記録と飲み会の様と書く仕事への辛さを読むうちに、ふと佐藤友哉の影がちらつく。著者と佐藤友哉の作風に似通ったところがあるかは、中原昌也の作品を読んだことがないので分からないけれど、書く仕事により成り立つ自分がいる世界への懐疑的な様、それでも書きつづける以外に生きてはいけないと読んでいて分かる文章に、読む価値が生まれているのだと感じる。本当に辛いのだと思うけれど、それでも読ませてほしい、と一読者は考える他ない。