暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書・アニメ

 本屋へ寄って何も買わずに出てくることを、ここのところ何度も繰り返している。家には積んでいる小説・書籍・マンガなどが佇んでいる。その様を思い返すと、購読を決めている新刊以外で、いつか読むために買うことがいよいよ困難となり、読む--読みこなすサイクルを構築することが肝心だと考え、今こうして、読んだことにより感じた物事をなるべく書き留める、という流れを生んでいる。帰宅して疲れてそのまま眠ることはままあるが、なるべく読む・書くを継続して、今より良い読書生活を送りたいのだ。そして、また新しく世に出る本を読んでいきたい。それが三十代での目標、そのために今から出来るだけ少しずつこなしていく。


 島田荘司占星術殺人事件』を外出中に少しだけ読み( しかし電車内では思いの外に読書が進まなかった、家で読むのがベストの気がする )、保坂和志『小説の誕生』より「9 私の延長」「10 「われわれは生成しつつあるものを表現するための言語を持っていない」」を読む。
 今読んでいるものを言語化するにはどうしたって考える時間が必要であり、その考えたすべての事柄を言語化することは作品と成るまとまりを欠くために不可能であるからこそ、考えたことの断片を親和性を抱く読者が読むと生の感触が伝ってくる、ということは分かりつつ、気になるのはその断片の記し方で、10章の締めくくりにある「断片はどこまで"想像的な他者"と無縁でいられるか?」ということに俄然心が向く。吾妻ひでおの「うつうつひでお日記」のマンガやインタビューにそんなことが書いてあったっけなと思い、読んで少しでも理解できるようなサービスは、まず未来の自分は今の自分にとって他者であることから生じるのだろうか……と考える。それが自意識の発露という一言で済むとは思えず、自分の中の熱情と現実を切り結べた時にこそ、芸術に成り得るのかな、そういったものはとても読みたいなと感じるのだった。おそろくそれは、生涯読む本に連なる必需品だろう。


 「Charlotte」を3話まで観る。「Angel Beats!」は途中で離脱したけど、こちらはギャグがツボに合ってるからか最後まで観られそう。3話は観ている時間が過ぎるのが早いなと思っていたら案外時間が残っていて、話の密度にのめり込み過ぎたのか映像のテンポに取り込まれ過ぎたのか、観ていてえらく不思議な感がした。そろそろ学園の中のお話になるのかな。

広告を非表示にする