暗闇のほとりで

読んでいる本についてつらつら書いています

読書・アニメ

 本を読むなりアニメを観るなりしなければここに書くことは全くなく、つまり今週はそういった時間を眠るに任せていた。マンガを積んでいるのに、どれを読めば良いのか背表紙を前に呆然とする時期をそろそろ脱出したいが、糸口は時間の過ぎるまましか思いつかない。読みたいんですが……。


 最初の50ページほど読んでいまいち説いていることの像が掴めず放っぽいていた福田和也『現代人は救われ得るか 平成の思想と文芸』現代人は救われ得るか―平成の思想と文芸をふたたび手に取り、「平成の川端康成 -堀江敏幸」の291ページまで読みすすめる。
 金曜日の夕方まで読みはじめる予兆を感じなかったのに、さて3連休だ家で何をしようかと考えながら帰宅して本棚に佇んでいるこの本を見かけてまた読みはじめ、深夜のテンションでぐいぐい読みすすめるそのことに読書の不思議を改めて覚える。おもしろい本はやっぱり容赦なく時間を奪っていくものだ。
 平成年間での小説に於ける「子供」( その形は大人の精神性から本来の子供をも指す )の扱いについて、村上春樹舞城王太郎佐藤友哉保坂和志島田雅彦長嶋有堀江敏幸の諸作品から読み解く様を読むにつれて、子供っぽさでは始末に負えない己の幼児性を自認すること、自認した上でその幼児性の先を自身が展開できないこと、というのはどういうことなのか?という問題意識が頭の中に広がりつつある。ずっと前から感じていたことを明晰な文章で揺り起こしてくれたようだ。形にできるようにしたい。
 また、本書を読んでいて強く思うのは、俺が村上春樹の小説を読むことは当分ないんだろうなあ……ということで、終章の『1Q84』を扱った章をまだ読んでいないからすぐに反転するかもしれないけれど、『風の歌を聴け』から『ねじまき鳥クロニクル』までの諸作品を好んで読んでいた18、19歳の頃からいろんなものが遠く離れてしまったことを感じる。本書で引用されている文章を読んでも、自分の読みたいものから外れてしまったものを読む難しさくらいしか感じず、すなわちとうの昔に卒業していたことを確認するのだった。作品内で、どうにもツッコミ( 自虐でなく )が感じられず、また、広いところを行き来しているはずなのに狭苦しさを抱くから、が大きい気がして読めなくってしまったようだ。自分の中で読みかえしていく小説はどういうものだろう、と考えるきっかけになった。


 「干物妹!うまるちゃん」2話を観て今期の一番の楽しみはこれだ、と思っていたところに、いやいや「Classroo☆Crisis」もおもしろい、毎日徹夜でも平気な部活のノリで過ぎていた事業が予算確保の現実を前に破綻した後に、今、ここで、誰が、何のために、利益を得るためにどのような手段を持ってして現状を打破していくのか(もしくは打ちのめされていくのか)を描いていくようで、その熱情に期待する。お金の話は大事。
 「のんのんびより」の後半6話をタイムシフトで視聴して、つづいて「のんのんびより りぴーと」1話を観る。風景の描写に心を持っていかれる。モノローグやナレーションを挿まないその描写を前にして、風呂に使っている時の全身を揺さぶったあとの一息ついた心地に似た、言葉にしがたい情感が胸に落ちる。